暇記

カキーン

2017年1月17日…の翌日に綴る。

大倉くんが腸閉塞になりコンサートを休んだあの日からちょうど一年と一日が過ぎた。


あの当時の情況の詳細は過去記事にあるのでそれについては省くとして、今思い返してもあの「コンサート最終日の不在」は、おたく的に過去最凶レベルの出来事だった。
コンサート当日はもちろん、その翌日、そのまた翌日、仕事復帰時、そしてコンサートDVD発売情報解禁時、DVDの詳細が発表された時、DVD発売日、DVD鑑賞時、他人のDVD評を見聞きした時…あらゆるタイミングでその”今さらどうしようもできないこと”を何度も何度も反芻させられ、その度に治りかけていたかさぶたを剥がされるような心境になり、時間が経つにつれて私は立ち直るどころかヘトヘトの極み乙女状態に成っていった。
加えて、大倉くんに関してはこの一年の間に腸閉塞以外にもまあいろいろあって、そのいろいろに失笑してしまった自分もいたその一方で他人の悪意や下衆い言葉にスポイルされたりする自分もいて、さらには私も大好きだったエイトと同世代の某グループのあれこれやエイトの先輩にあたる某グループのあれこれ等が立て続けにあって…なんていうか、長らく自分の中に確固たるものとして在った”偶像を愛でるスタンス”みたいなものが揺るがされそうになることが多々あった、そんな一年だった。
こっちはあっけらかんと素敵なことだけを摂取していたいのに、なんだかなぁーと思うことがいくつもあって、師走を迎える頃には相当なヘキエキの極み乙女状態に仕上がっていた。

そんなヘトヘトヘキエキの中ではじまったのが今回の「関ジャニ’s エイターテインメント」ツアーだった。


初日の札幌から大阪まで、全ステまではいかないものの大人故のじゆうとかねといとまに任せて結局のところ相当回数見ることとなった。
札幌では新鮮さを楽しみ、東京ではその地で聞く”Tokyo”に胸を打たれ、名古屋ではすばるくんとふわふわポムポムに堪らず感嘆の声を漏らし、福岡ではすばるくんが尿を漏らし…、回を重ねるごとに力強さと情緒が増していく中、この一年間でだいぶ目減りした自分の中の安定感と熱量を徐々に取り戻していくようなそんな感覚を覚えながらツアーは続き、最終地大阪の京セラドームへ臨むに至った。
  

最終公演の日、メンバーは冗談っぽく「始まる前まで全員いるか気になってたやろ〜」と言っていたけれど、私自身は本当に冗談でもなんでもなく、そのことを何よりも気にしながら開演を待っていた。あの日だって、まさかあんなことが起こるとは夢にも思っていなかった。でも、起きてしまったのだ。
七人がいつものように私たちの前に現れるその時その瞬間までは安心できない…と無意識に高まっていく緊張感。もうすっかり癒え切ったと思っていた古傷がここにきて疼き出しだしたことに驚いた。
そしてOPのVTRが終わり、スポットライトが当たる。
モニターに映るメンバー。まず人数を数えた。…七人いる。全員いる(しかもバリったり前髪あげたり変に刈り上げたりもしていない)。七人全員で(しかもこんな良い仕上がりのままで)ツアーを完走できる。
そんな当たり前ともいえることに心の底から安堵し、横一列で並んでいる七人を見ながら涙腺が緩んだ。

過去記事にもあるように、昨年のリサイタルの幕張初日、大倉くんが2016年1月16日以来はじめてステージに立つこの日の公演に入れば、あの日以来のネガティヴがすべてまるっと昇華されるはずだと思った私は、その日意気揚々と幕張まで足を運んだ。そして公演後、とりあえずこれで一件落着だなとその時はたしかにそう思った。でも、ドームで見る”コンサート”とアリーナで見るユルッユルの”リサイタル”は、やはり根本的に質を異にする。あの日京セラドームで湧いた念は、未だしつこく京セラドームに在ったことにツアー最終日にしてはじめて気づかされた。
とはいえ、一年前の出来事について今もこんな風に囚われているのはこちらだけなのかもしれない、その間にも諸々いろいろあった本人にとってもしかするとあの日の顛末はもはや取るに足らないことなのかもなぁとアリーナを練り歩きながらグラサン芸に興じる姿を見ながらぼんやり考えたりもした…のだけれど、案外そうでもなさそうだった。

開口一番「『おるかな?』って思ったでしょ?いるよ!」と出席報告をしたり、今日のお腹の調子は(一年前と違って)良い旨お知らせしてくれたり、「(今日さえ無事に乗り切れるなら)明日病気になってもいい」と笑えない冗談を口にしたり、メンバーから一年前のことを面白おかしくいじられてもそれに軽々しく乗らずなんとも言えない表情を浮かべていたり、「あの時も朝6時くらいにお腹痛くなったから…」と今朝6時にお腹が痛くなる夢を見て目が覚めてしまったと言っていたり、「プロとして当たり前にステージに立っていなくてはならない」「メンバーに謝罪させてしまった」「今回最後のあいさつを自分にさせてくれているのもメンバーの配慮だと思う」と、一年前大倉くんがいない中で公演をやりきった六人に対しての一年越しの思いを言葉を選びつつ申し訳なさそうに口にしていたり…。一年前のあの日のことを今さらにちゃんと触れていく姿を見ながら、あゝあの人も同じようにこの一年間ずっと囚われ続けていたんだな…としみじみ感じてちょっとホッとした。


一年前なんとも言えない空虚を感じながら勝手に仕上がれを演奏する六人を眺めていたことを、今ツアーにおいて一番エモかった(←使い方あってんのかこれ)NOROSHIを体感しながらふと思い出した。一年前はこんなにも痛快な気分になんてとてもじゃないけどなれなかった。
去年は「やらない」と断固拒否された2年ぶりのダブルアンコールで歌われた曲は「TAKOYAKI in my heart」。たこ焼きがモチーフとされている今回のツアーでこの曲を歌わへんねやったらいったいいつ歌うねんと札幌でセットリストに突っ込んでから早1ヶ月、このツアーを〆る一番最後の曲として大阪の地で聞く「TAKOYAKI in my heart」は、東京で聞いた「Tokyoholic」以上に胸を打つものがあった。

本当にいいツアーでいいオーラスだった。”最終公演の京セラドーム”が、最高のものに上書きされて終われて本当によかった。*1
あのオーラスの記憶だけで、今後一年間は揺るがずに居られると思う。


2016年1月17日から京セラドームに約一年間居座り続けた我が地縛霊(※生霊)がようやく成仏した気がした。

今週末は元気が出るLIVEのDVDでも見ようと思います。

*1:次の最終公演は福岡