暇記

カキーン

関ジャニ∞の大倉忠義さんのこととかについて綴る。

錦戸さんが脱退することについてとうの昔に覚悟はしていたからといって、心の中が無風なわけではなく。

一番強い感情はなんだろう?と我ながら考えてみるに、やっぱり「寂しい」かなぁ。
5人との関係性、可能性、未来、「よこやまくん」「むらかみくん」「マル」「章ちゃん」「おーくら」と呼ぶその声、それらを全てを一気に失ってしまったことが「寂しい」んだな、多分。

あと、これからもアイドルそして関ジャニ∞を続けたいと、6人でも大丈夫だと思わせてあげられなかったことに対するほんの少しの後悔もある。
ま、ファンごときが何か出来ると思うこと自体おこがましいし実際何か出来るわけでもなかったんだろうけど、逆にしなくてもいいことをした方というのは少なからずいたのではと思ってしまうのが正直なところ。
去年の夏ごろ、身から出た錆とはいえそうじゃない人と比べてあまりにも多いアイドルゆえの煩わしさに、完全部外者の自分ですら辟易していた。
あの時、我がの利己的な言い分を盾にここぞとばかりに延々呪詛を吐きそれを是としていた人たちは、こういう結果になって万々歳って感じなんじゃないでしょうか?
万が一悲しんでいるとしたら、それはとても片腹痛いお話ですな。



諸々の感情を持て余しながら、去る9月5日の夜は例の動画を何度も繰り返し見た。
「大倉くん、顔が小さいな…」「……いやホンマに顔小さすぎひん?!」「え、顔ちっさ」という”大倉くん顔小さすぎちゃうんか”ループを抜け出した後は「なんでやねん」「なんでそこで47行くねん」「いやここで47はどう考えてもめちゃくちゃやろ」と47に突っ込むゾーンに突入。
…やっぱあの日は自分も若干おかしかったんだろうな。


翌々日はオールナイトニッポンだった。
大倉くんは「別にそのままお話しするのも大丈夫なんですが」と前置きしつつ、9分30秒もの長い時間をかけて今の心境をまとめた手紙を読んでいた。

詳細というか全文はこちらに上がっているので、聞き忘れた方はどうぞ。
ま、本人の声に勝るものは無いんですけどね。
https://www.oricon.co.jp/news/2143865/full/


大倉くんは昨年すばるくんが脱退した時も、同じオールナイトニッポンでそのことについて誰よりも多く心境を語っていた。
でも、発せられた言葉の種類は去年とは明らかに違っていた。

「グループは永遠に続くものだと思っていたけれど、永遠はないのだと改めて知った」
「気づかれないように頑張っていたけど、心は擦り切れて限界に近づいていた」
「この2年間はめっちゃしんどかった」
「今、心身ともに疲れている」
「もし次こういうことがあるなら、僕はもう終わりでいいと思う」

これに加えて前々日の取材で大倉くんは「亮ちゃんに頑張ってほしいという気持ちもあるけど、(今は)自分たちのことで精いっぱい」だと口にしていたという。

一年前「すばるくんも今までのことを糧に活動していってほしい」「すばるくんのことも応援して」と、脱退者及びそのファンを鼓舞しながら「みんなそんな悲しまないで!俺たちが最前線に立って引っ張っていってやるから!始まるんじゃなくて始めるんだぜ!!!」的な(空)元気を振りまいていた強くて逞しくてついでによく飲みよく食べるイビルジョーのような大倉くんは、もうそこにはいなかった。
でも現時点での本音はこうなんだろうなと。もはや虚勢を張る気力すらないんだろうなぁとその現状に軽くショックを受けた。


デビューという夢に向かいグループみんなで一丸となって、それが叶ったらもっとビッグに、そしていずれはテッペンに。
そんな未来に向かいひたすら進んでいた、夢と若さとポジティブで飽和していた青い春のような時間はもう完全に終わってしまったということを、いつか来るであろう”関ジャニ∞の終わり”について触れる大倉くんの声を聞きながらしみじみと実感した。
でも、それは生きていく上で極々当たり前の変化なんだと思う。

自分が死ぬことなんて考えもしなかった子供のころ。喜怒哀楽幸不幸いろんな経験をしながら歳を重ね、もう若くないことに気づいた時、自分の人生にもこの先絶対に終わり=死があることをはっきりと自覚する。
多分みんなそうやって日々を、現実を生きている。

アイドルは、偶像。夢のような虚構を見せてくれる人たち。
良いことがあったり悪いことがあったりしんどい事があり過ぎたりはたまた何も無さ過ぎたり、そういうありふれた日常に蝕まれている人に、非日常的なキラキラをその身をもって与えてくれる尊い存在。
アイドルという立場でありながら、「しんどかった」だの「疲れた」だの「永遠なんてない」だの「もう終わりでいい」だの言って、虚構の世界に現実を引っ張り出してきた大倉くんは、もしかしたらアイドルとしては正しくないのかもしれない。

でも…私は嬉しかったんですよね、なんか。
だって自分もこの半年いやもっと前から、ずーっとしんどかったし疲れていたから、不穏な状態を放置したまま笑顔で後輩のバックアップに勤しんだり、真剣過ぎるトーンで「着衣が好き」とか言ってる大倉くんがあまりにも訳分からな過ぎて「…正気か?!」と思うこともしばしばだったから、漸く理解と共感が出来て安堵としたというか。
うんうんそうかそうかYOUも同じようにしんどかったのかそしてそれを必死に隠して表に立っていてくれたのかそれなのに「この人はどうかしてしまったんじゃ。こりゃもうついていけんわ」とか思ってしまって本当に申し訳なかったヨシここは(鳥貴族で)俺に奢らせてほしい*1的な気持ちでいっぱいになった。

あと、同時にものすごく感動もしたのであった。
超カッコつけてるのにいまいちカッコつかない残念なところや五月蝿いメンバーから一歩どころか百歩くらい引いたところからぬぼーっと傍観してる木偶の坊感が興味深くて大倉くんのファンになったはずなのに、知らないうちにすごい人を応援させてもらうようになっていたんだなぁと。

大倉くんが十五祭のセットリストから映像、照明、その他演出の全てを担っていたことをこの日はじめて知った。
「すべての演出に意味を持たせた」という言葉に、十五祭を見て自分が感じた細々としたアレもコレも、LIFEの途中に流れるバッキバキ体操の映像ですらも、すべて大倉くんにとってちゃんと意味があるものだったんだと分かって素直に嬉しかった。

「自分がしたい、今回に関してはもう”自分がやる”と決めました」
「自分が、十五周年のライブを作りたかった」
「今回は関係者のために作ってるライブではなくて、俺らとファンのためのライブだったから、それをめちゃくちゃ大事にしたかった」

普段あまり聞いたことがない、それこそ"着衣が好き"という自身の性癖を語る時と同じくらいの強い意思と信念を持って話す大倉くんに、本当に心から感動してしまった。


大倉くんは少し前に過去のコンサート映像を見返してるとウェブに書いていたけど、勿論仕事のためではあるにせよ、いったいどんな気持ちでそれらを見返していたんだろう。
一貫してグループ至上主義だった大倉くん。すばるくんの個性と錦戸さんの存在感が共存する関ジャニ∞を本当に愛していた大倉くんは、きっと私なんかとは比べ物にならないくらいにこの現状がつらくて悲しいはず。「心身ともに疲れている」というのは、嘘偽りない言葉なんだと思った。

それにもかかわらず大倉くんは、まだ暫くの間はアイドルでいてくれるのだという。
辛さも寂しさも疲労感もその絶息すら包含して、まだまだ私たちに虚構を見せてくれると言っているのである。
おいおいどんなえげつないメンタルしてるんだよ!本当に大丈夫なのか?

…そういう心配の声があることもちゃんと分かってるのであろう、手紙の最後の方で大倉くんは「僕の横には仲間がいます。重い荷物を分けてくれる持ってくれる頼もしいお兄ちゃんたちがいます。なので大丈夫です。泣きたいときは泣きますし、つらいときはしんどいってちゃんと言います。」と付言していた。
それを聞いて安心したと同時に、去年の春から夏にかけて妙に気負って見えた錦戸さんは、つらかった時にちゃんとメンバーに「しんどい、荷物を一緒に持って欲しい」って言えていたのかな…なんてことをふと考えたりした。



11月から5人は恐ろしい日程&総動員数の47都道府県ツアー(12年ぶり2回目)をスタートさせる。
あとから振り返ったら5人にとってターニングポイントになるものなのかもしれないし、何も残らない空虚な5ヶ月間になるのかもしれないし、もしかしたらこれは本当の終わりの始まりなのかもしれない。
現段階ではどうなるか誰も何も分からないけれど、大倉くんの「休みたい気持ちもあるけど、(ここで一旦休止して再開する方が難しそうだから)僕らは走り続けないといけない」という言葉の意味もすごくよくわかるので、愛を過剰な心配でスルーしないように気をつけつつ、とりあえず5人とも無理はし過ぎず怪我なく健やかに47都道府県ツアーを完遂させて、その後も歌うようなペースで構わないので出来る限り長く走り続けてくれと願うばかり。
こちらも、彼らが疾走するこのデスロードを最期まで併走してやろうというのが今の素直な気持ちではありますが、正直47に関しては会場に行ける気がまるでしないので、配信とかライブビューイングとか、そういう感じのアレを是非とも頼みます。


トリキで5杯(計1,605円)、奢るからさぁ〜。

*1:社長令息かつ大株主が歌う「俺に奢らせてほしい@Street Blues」の説得力マジ半端なかった