暇記

カキーン

2011年から2014年について綴る。

2011年。
8UPPERSツアーの最終地である京セラドームで発表されたように、クレヨンしんちゃんの主題歌をエイトが務めることになった。
長らくタイアップというものに縁遠いグループだったから、彼らの曲が国民的アニメのテーマソングになったことは素直に喜ばしかった。

上半期は、先のクレヨンしんちゃんのテレビ&映画の主題歌(T.W.L/イエローパンジーストリート)決定からはじまり、ハイチュウのCMが始まったり、MAPプロデュースのお弁当が発売されたり、モンハンのCMが決まったり、仕分け∞が深夜のワンコーナーとしてはじまったり、ジャニ勉が1時間枠になったり、錦戸さんと大倉くん出演ドラマの主題歌が両方ともエイトになったり…と、”事務所から押されまくってる感”がなんていうかもう、半端なかった。
しかしながら、周知の通り2011年は東日本大震災があったため、その突然はじまったエイトの売り出しと世間の空気とがまったく噛み合ってなくて、そのタイミングの悪さが歯がゆくもあった。

震災後、まるちゃんの大切な日の更新が止まった。目に入ってくる光景すべてが嘘みたいで、日本中が震災前の日常を忘れてしまった気がした。
そんな中、震災の翌日にOAされたスバラジがあまりにもいつも通りで、すばるくんの声を聞きながら涙が出た。

震災が起きたこのタイミングでの24時間テレビパーソナリティ決定。
まだ何も決まっていない段階であろう4月の時点から無地の黄色いTシャツを着たエイトによる告知CMが流れていた。

三ヶ月連続CDリリース、それに伴う露出、でも世間は未だエンタメどころではないそんな雰囲気。
T.W.LのPVは大倉くんとすばるくんの髪型がとにかく素晴らしくて、ヘアメイクさんにお捻りを投げたくなった。

錦戸さんの月9出演が決まった。前クールの「犬を飼うということ」の主題歌はエイトだったから、順番的に次はNEWSかなフジテレビだしなと思っていた最中「ツブサニコイ」が月9のエンディング曲に決まったというお報せが。
私はエイトのファンだし露出がある際”関ジャニ∞”と紹介されないことも多々あった時期を知っているからこそ、錦戸さんが明らかにエイト寄りの扱いをされるようになったことは単純に嬉しかった。このまま本業エイトで1年に1回くらい副業的な感じでNEWSを続けていくのかなと思っていた。

24時間テレビ放送日の数日前に(ナゴヤドームを除く)4大ドームツアーと仕分け∞ゴールデン進出が発表された。売り出しが唐突にも程がある!とこの時期はある種の怖さすら感じていた。

ツブサニコイが発売。レコードショップでクローバーの種を配るという謎プロモーションをやっていたのを覚えている。
このシングルのカップリングに、ItoUが収録されている。発売当初からリード曲よりもこの曲の方が個人的に好きで、特に一番では一切ユニゾンを採らず全員がソロで歌いつなぎ、2番になって漸く真打登場的にすばるくんが出てくるところが本当にグッときた。この曲を歌うすばるくんの声もいつになく優しくて、大好きな曲…だったなぁ。

24時間テレビの前日、日テレジャックを終えた後、Mステで「ツブサニコイ」を歌った。SMAPも一緒に出ていたなそういえば。
スマートに歌い踊る大スターSMAPとマイクを握りながら顔を真っ赤にして熱唱するすばるくんをフロントに据えた泥臭いエイトは、なんだかとても対照的に見えた。

個人的に24時間テレビは諸手を挙げて賞賛できる番組ではないとは思っているけれど、24時間好きな人たちを見続けられるということを純粋に満喫しようと思った。
震災直後だったからこそ、つらい映像も多かった。子供達と一緒に楽器演奏をするという企画で、無事成功した子を優しく包み込むようにハグするすばるくんがとても素敵だった。

24時間テレビが終わってすぐに仕分け∞のプロモーションが開始された。あらゆるテレビ朝日の番組に顔を出し、HDDは日々自転車操業状態だった。
その後、アルバム発売とナゴヤドームの追加が新聞発表された。解禁といえばレコメンでヨコヒナが引っ張って引っ張って仰々しく発表というのが当たり前だったのに、スポーツ新聞で大々的に報じられるようになるなんて…と感慨深く感じたのを覚えている。

そしてエイトの予定でこちらがヒーヒーうれしい悲鳴をあげていた2011年10月7日、錦戸さんのNEWS脱退が発表された。
確か週末の20時45分頃だった。晩御飯を食べ終わってtwitterクライアントを立ち上げた瞬間目に入ってきたYahooニュースの見出し。大人だから公開アカウントで明け透けに本音を吐露することはなかったけれど、私自身は正直清々しいだけだった。エイト及び錦戸さんに仕事が決まるたび目に入ってくる向こう側の言葉は、こちらにとっては煩わしいだけだったから。でも、錦戸さん自身が今まで誰もやったことがなかったデビューグループの掛け持ちを全力で頑張っていることを重々理解していたからこそ、この決断に至るまでの彼の心情を思い苦しくもなった。
脱退発表から数時間後、まだTLが動揺一色の中「なんで今っ?!」というタイミングでFIGHTのリード曲名が解禁された。「モンじゃい・ビート」というタイトルに、全身の力が抜けた。

アルバム「FIGHT」発売。
その直前にワイドショーで特典のPVが解禁されたのだけど、「Fight for the Eight」のPVのアイメイクをしたすばるくんの仕上がりがあまりにも見事すぎて、それが流れた朝TLが騒然としていたことを覚えている。この曲のメイキングの、ヒナちゃんに甘えるすばるくんも可愛くて好きだったなぁ。
全然日の目を見ないけど、このアルバムに収録されている「Fly High」という曲が私はとても好きで、毎年再生回数の上位に位置するほど未だによく聞いている。
この曲のイントロのすばるくんの笑い声、Aメロの声の感じ、サビ後に入る気持ちの良いフェイクそれら全てが本当に絶妙。でも仮に万が一、否、億が一この曲が今度コンサートで歌われることがあったとしても、もうこのすばるくんの歌声は聞けないんだなぁ。
あと、このアルバムが発売されるに際して更新されたアーティスト写真のすばるくんと、FIGHTのユニフォーム制作中のすばるくんの仕上がりも過去類を見ないくらいに素晴らしくて、「この人の顔面のポテンシャルすごいな!」と今更にその顔の造作の美しさに驚くことが多かった時期でもあった。

「EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません」というふざけきったタイトルの五大ドームツアーがスタート。
名古屋の…確かバクステ前の席だったと思うんだけど、すばるくんのイヤモニの調子が悪かったのか、曲の合間に客前にも関わらず眉間にしわを寄せてマイクに入らないようスタッフに怒号をあげているのが見えてびっくりしたことを覚えている。
少し前から最近そういう様子が見られるということはちらほら耳にはしていたけれど、実際この目で見て慄いて、ああこの人はまだこんな感じなんだな…と残念に思ったりもした。
公演の序盤に歌われていた「宇宙に行ったライオン」、この曲を歌うすばるくんがなんていうかものすごい迫力で、それでいて痛々しくもあって、正直見ていてつらいものがあった。
歌い終わった瞬間に事切れそうな感じというか、命を削りながら歌っているようなそんな印象を受けた。実際この頃のすばるくんはメンタルがそこそこしんどい時期だったようで、私が感じた痛々しさは強ち間違ってもなかったのかなと今になって思う。
コンサートにおいては、概して(踊りもしなければ演奏もしない)”棒立ち曲”って退屈なんだけど、「wander」は歌だけで十分間が保たせられていることに感動した。Cメロのすばるくんが本当に素晴らしくて、この曲を聞くのが毎回楽しみだった。
そういや例によって名古屋はクリスマス公演だったんだけど、MCで突然メンバーの大昔のことだとはとても思えない生々しい恋愛話がはじまって客席が引いてたのが興味深かった。
あと、京セラドームの最終公演で水のスクリーンに大きく「FINAL」という文字が浮かんだ時に上がった歓声が、なんだかとてもあたたかくて感動的だったのを覚えている。


2012年。
この年エイトレンジャーが映画化されるということになり、それに伴いシャンプーやらセブンイレブンやらのCMに出演、他にもCCレモンのCMが決まったり、錦戸さんや大倉くんに主演映画が決まったり…と、「売れてる」感がどんどん増して行った年だった。

春クールに「パパドル」。この件に関しては積極的に記憶を抹消していってるのでほぼ何も覚えていない。とりあえず、仕事を入れるのはいいけれど、ジャニーズ事務所はうちのグループの各々の大事な時間をもっと有効的に使ってあげてほしいなと思った。
それはそうと、あのドラマの脚本家はまだ懲りずに本を書いてるんだろうか…。

7月2”8”日にエイトレンジャー公開。
映画館に行けばいつでもエイトが見られるという状況に感動しつつ、私も数回見に行った。

8月には∞祭とすごはち開催。
∞祭は幕張メッセインテックス大阪で。行きたいと思う客がなるべくたくさん行ける&エイトをなるべく近くで見られる&歌もトークも両方見られるというこれら全ての条件を満たすために組まれた独特の構成は、こちらから見ても相当ハードなものだった。
私は大阪の1日目と3日目に行った。
やってる彼らは本当に大変だったとは思うけど、こちらにとっては実に楽しいイベントだった。実際めちゃくちゃ近くに来てくれたし、歌もトークも日替わりメニューまで用意して、充実した時間を過ごさせてもらった。
展示コーナーに彼らの赤ちゃんの頃から今に至るまでの大量の写真を時系列で並べた一角があったんだけど、生まれた年も場所も違う7人が、私たちのような一般の家庭の子供と同じように親御さんからの愛情を一身に受け大事に大事に育てられて大きくなって、最終的に7人が集い関ジャニ∞になる…というその経緯がまるごと見られるようになっていて、なんか…”運命”が可視化されたようなそんな気がして、とても感動したことを覚えている。

∞祭3日目は最終公演のセクションだったんだけど、最後の最後、大倉くんの声が枯れていたのにすばるくんの声は絶好調のまま終わって、この人の喉どないなっとんねんと思ったことを覚えている。
過酷なイベントを無事やり遂げ感極まったすばるくんは、「一生あなたたちのアイドルです!」と声高らかに宣言していた。まあ…たとえジャニーズ事務所を辞めても、誰かの”アイドル”という存在でいることはできると思うよ。
そんな∞祭のパンフレットは安田くんと大倉くんが制作を担当していたんだけど、これの中ではじめて内くんが脱退した時のことについて各々が詳しく話していた。
でも、個人的にはそちらの話題よりも、すばるくんのインタビューの中で「大倉は(FFFの)バンド活動について好意的じゃなかった」と指摘されていたことの方が印象的だった。その場で大倉くんはバツが悪そうに適当に誤魔化していたけど、自身の項ではそのことを認めていたのがまたなんとも味わい深いものがあった。すばるくんの洞察力がすごいのか、誰でもわかるくらいに大倉くんの態度があからさまだったのか、そのどちらだったのか勿論私にはわからないけれど、大倉くんのこともすばるくんのことも好きだからこそこうやって本音を言い合える関係になってくれてよかったなと思った。
あと、FFFの公演を見た錦戸さんがすばるくんをソロデビューさせてあげてほしいとジャニーさんに直談判した話もこれに載っていたなぁ。

9月には初のスタジアムライブ。
私は長居の2公演に行く予定…が台風のせいで1公演に。ほんまジェラワットといいシマロンといい…!
長居では、すばるくんの誕生日を皆でお祝いした。すばるくんに宛てられた母からの手紙に「心が風邪をひいて」と書いてあって、ここ数年の不安定なすばるくんを思い浮かべながら、すばるくんのお母さんもそのことをちゃんと把握していたんだな…と胸がぎゅっとなった。

すばるくんは以前からWINK UPで「渋谷すばるの脳」という連載を持っていた。
すばるくんが好きなことをするだけのコーナー。安田くんと陶芸したり、大倉くんと釣りに行ったり、あと、2000年頃ジャニーさんからアメリカに音楽留学することを勧められて話が具体化した矢先テロが起きてそれがダメになったこともこの連載で知った。
私も気が向いた時だけ手にとって読んでいた。心に風邪を引いていた頃の詳しい話も、この年のこの頁に詳しく載っていた覚えがある。
でもその時に思ったのは、ほんの数年前のことを「実はあの時はつらかった」みたいに言われるのは、その当時も心から彼らの活動を楽しんでいた一人として決して快いものではないなぁって。
しかもそのつらさの原因っていうのは、自分がやりたかった形の音楽活動を制限したものつまり”関ジャニ∞”にあるわけで。
私はFIVEでもFLAT FIVE FLOWERSでも渋谷すばる単体でもなく関ジャニ∞のファンなので、そのすばるくんが”やりたかったこと”を関ジャニ∞の中でできるようになればいいなと思うばかりだった。

そしてこの年、NHK地上波(!)で横山渋谷村上三人による番組「明日はどっちだ」がスタートした。
夢に向かって邁進中の一般人を三馬鹿がそれぞれに寄り添い、応援する番組。三人それぞれエールの送り方に個性があって、オープニングもエンドトークも、VTR中のワイプですら楽しくて、なんていうか…今思い返しても夢のような番組だった。
もう二度と見られないんだなぁ。

ベストアルバム8EST発売、からの8ESTツアー。
日程が発表された時点でそれまで毎年当然のようにあった12月31日の大晦日公演が無くて、これはもしや…とファンは俄にざわついた。
そして予想通り、紅白歌合戦の出場がまるちゃんの誕生日である11月26日に正式発表された。一度しか出られない初出場歌手による会見に(も)、何故か安田くんはいなかった。…なんでや。
晦日は京セラドームの昼公演があったので、彼らはそれをこなしてから東京へ向かうという鬼スケジュールだった。
いつもはしつこくアンコールを強請る客も、空気を読んでそういう声を一切上げなかったことに感動した。
今から”紅白歌合戦”という紛うことない国民的番組へと臨むエイトに「行ってらっしゃい!」と直接声をかけて大阪から送り出せたことは、今でも思い出すと胸が熱くなる。

紅白。一人ステージの真ん中に先鋒として堂々と立ちデビュー曲を歌い上げるすばるくんが本当に格好良くて、いちファンとして誇らしかった。 

この時期、いろいろ立て込んでいて8ESTツアーのことはあまり記憶にないんだけど、クルトンの間奏で一列になるところですばるくんがいつも大倉くんにイタズラしていたのがとても可愛かったことは覚えている。
あと、ツブサニコイを歌うすばるくんに去年の宇宙へ行ったライオンの時に感じたものと同じ痛々しさを感じたりもしたなそういえば。
京セラの最終日では全員が一人一人熱のこもったいい挨拶をしていたのだけれど、これ、珍しく映像に残ってないんだよね。


2013年。
紅白にも出場し、コンスタントなCDリリース、全国ネット及びローカルの冠番組を抱えて各々には個人仕事。良くも悪くも安定期だったなと思う。
そして長らく続いていたすばるくんの前髪パッツン&ヘルメット頭ブームは終わりを告げ、徐々にロン毛&ヒゲへと風貌が変化していった。

JUKE BOXがリリース。
こういった役割は大抵ヨコだったのに、なぜかすばるくんがツアー内コーナーの諸々をプロデュース。まあ今考えるとヨコはトランペットで手一杯だったんだろうけど。
アルバムの特典に入っていたユニット決めの様子がめちゃくちゃ楽しくて、何度も繰り返して見た。
すばるくんを自分のユニットに欲しいと臆せず言う錦戸さんと、彼の自分に対する気持ちを解っているからこそ困惑しまくるすばるくんの図が本当に最高だった。「みんな好きやもん」っていうあの時の言葉は、きっと嘘でも冗談でもなく本心だったと思うな。

JUKE BOXツアーは初日が東京だった。
私も珍しく初回公演に入り、例によってヨコのトランペットとビーストのふんどしに目眩がするほど動揺した。この時(と十祭とGR8EST)ほど、初日に入っておいて良かったと思ったことはない。
ヨコが32歳にして楽器を身につけようと思ったきっかけの一つに間違いなくすばるくんの存在はある。音楽について消極的だったヨコが楽器を手にしたことについて、すばるくんはどう思ったのかな。きっと、ものすごく嬉しかったんじゃないかなぁ。
思えばヨコがスカパラとセッションして「楽しかった」と言える未来も、この時から始まっていたんだね。

このツアーでは、二年ぶりに宇宙へ行ったライオンがセットリストに入っていた。満杯のドームのムービングステージでキラキラを纏いながらこの曲を歌い奏でる7人は、本当に、世界一格好よかった。
二年前、すばるくんが自らをすり減らすように歌っていたあの痛々しい曲が、このツアーではまったく違って聞こえた。「初めて得た仲間に」と歌いながら6人を指すすばるくんを見て、自信を持ってそうだと誇示できなかった二年前のすばるくんを思い出していた。

このツアーで一つ印象に残っていることが。
名古屋公演だったかな、MCでユニットの話になった時、すばるくんが錦戸さんに「(ふんどしに備えて)公演前に股間周りの毛を剃っている」って面白おかしく言ったことがあって。
MCはユニット曲の前だからまだ客はそれ(=ふんどし)を見ていないのに、かつまだ名古屋福岡大阪三ヶ所も公演が残っているのにビーストの一番の肝ともいえる箇所のネタばらしをしていて、これってアンフェアすぎないか?!と。すばるくんってそういう…甘えながらギリギリのところを往来するところがあるよなぁ困った人だと苦笑した。

この年の年末も紅白に無事出場。
へそまがりのあの難解な出だしを安田くんと二人で歌っていたのが本当に格好良かった。見た目に反して頼りになるミニマムコンビだなと思った。
途中、審査員席の前に七人が立って一人一人文字が書かれた半紙を持つ場面があった。その光景が本当にエイトらしくて、嘘偽りなくこの人たちは最高で最強だなと思ったのでありました。


明けて2014年。
JUKE BOXツアーの最終公演で、キングオブ男が初披露された。
直前に流れていたPVでtornが背中合せになった時、三馬鹿と他4人が相対するかのように歌う様でも客席からは大きな歓声が上がっていたけれど、落ちサビですばるくんと錦戸さんが手を握った瞬間、それらとは比較にならないほどの凄まじい悲鳴が上がった。
このキングオブ男で二人が手を握る場面は、この時から最後まで、その全てが本当に最高だった。
でももう、二度とそれは見られないのだけれど。

この年エイトは10周年。
三年ぶりの24時間テレビ、二年ぶりのエイトレンジャー映画化、そして二年ぶりの野外イベント=十祭が発表されたのは確か”関ジャニ∞の会”だったかな。

6月、すばるくんが「味園ユニバース」で映画初主演を務めることが発表になった。
想像もしていなかった報せに、私も私のTLもお祭り騒ぎ状態だった。スポーツ新聞の「(役作りで)髪をバッサリ!」という見出しに、女優かよとファンが一斉に突っ込んでいたのが微笑ましかった。
監督もヒロインも手堅い才能と魅力がある方達で、映画は面白い予感しかしなかった。
すばるくんがここにきて新しいことをはじめるというその意思が本当に嬉しかったし、エイトの未来を思ってひたすらワクワクした。

十祭は、今まで見たライブの中でも1、2を争う程に思い出深くまた楽しいイベントだった。
楽曲の人気投票ランキングも人を替えての過去ユニット・ソロ曲の再演も、彼らのそれまでを知っているからこそグッとくるものがある。
初日、kicyuのイントロがかかりステージにすばるくんと錦戸さんが現れた時のあのどよめき交じりの大歓声は今も忘れられない。
錦戸さんは照れつつも嬉しそうに笑って踊って歌っていたなぁ。すばるくん相手以外で彼があんな表情を見せることはあるのだろうか。
天気はやたら悪かったけど、4公演とも本当に素晴らしかった。あと10公演は見たかった。

ヤンマースタジアム公演から一週間後に24時間テレビ
すばるくんは、おそらく自分で適当に切ったと思われるガタガタの坊主頭と適当に襟ぐりをカットしただらしのないTシャツ姿で番組に参加していた。
お世辞にも整っているとはいえない身だしなみで、なんとかならんのかなぁと見ながら思った。もしかしたらそれは彼にとって絶対に譲れないポリシーなのかもしれないけれど、今回は飽くまでグループ単位としてのチャリティのお仕事であるのだから、あえて今ここでそれを貫く必要性はあるのだろうかとモヤっとしてしまったのが正直なところだった。

その直後に初のフライデーなんてのもありました。個人的には自担のそれよりも「Oh…!」ってなったよね♪

イベントも24時間テレビも終わり夏の終焉を実感していた8月25日つまり関西デビュー日に、エイトがテイチクエンタテインメントインペリアルレコード)から自主レーベルに移籍することが発表された。
その報せをはじめて目にした時のあのどうしようもない寂しさは、ヒナちゃんがオーソレを辞めたとき、ヨコがレコメンを辞めたときのそれと似ていた。
売れていくに連れ規模が大きくなるに連れ変わっていくことがあることは勿論理解している。でも、よりによって変わって欲しくないものから変わっていかなくても…と。もう彼らにはジャニ勉しか残っていないのだなぁとこの時に思った。

新レーベル移籍後初めてのアルバムは「関ジャニズム」。
このアルバムに関しては、曲がどうとかいうよりも特典映像が実にアレだった。久々に見返してみようかな…。

関ジャニズムツアー。
個人的には金髪の大倉くんが見目麗しく公演も楽しいだけだったけれど、この時期くらいからtwitterの人口が増えたせいなのか小姑みたいな五月蝿い意見を目にすることが急激に増えて、SNSの使い方について改めて考えさせられたツアーでもあった。
すばるくんが「ごめんね青春!」を見ていることを知って、錦戸さんが近年見たことがないくらいに嬉しそうな顔をしていたこと、相変わらずトップ長めの坊主頭なすばるくんの髪の毛をまるちゃんがギュッと掴むノリが流行っていた時期ですばるくんのためそれを制止しようとした大倉くんの手首のバングルがすばるくんの頭に直撃して大倉くんがすばるくんから怒られていたこと等等どうでもいいことが妙に記憶に残っている。
あとこの頃、大倉くんが「来年は自分のバイクの後ろにすばるくんを乗せたい」とかそんなことも言っていたなぁ。

ツアーの最中、すばるくんが来年にソロデビュー&ソロツアーを行うことが発表になった。
長らく個人仕事をしていなかった人が漸く!満を持して!といった感じのすばるくんのソロ活動は、大歓迎だったし嬉しかった。自分が好きなグループは、ソロでCDを出せるくらいの人がセンターにいるのだということが誇らしかった。
まさかこんな結末が待っているとはこの当時は夢にも思っていなかったのだけれど。

このツアーでは久々にソロコーナーがあった。すばるくんは、8UPPERSに収録されていた「Revolver」を歌っていた。
曲の最後、息が切れるまで長く続く歌声にドームが震撼しているのを何度も感じた。声だけでここまで人の心を掴めるなんて本当にすごいなと思った。

あと印象的なのはフローズンマルガリータかな。
大倉くんがセンターに立っての群舞も良かったけど、何よりもすばるくんの歌がすばらしかった。この曲をこんなにも完璧に歌いこなせる人はすばるくんしかいないなと思った。
今後この楽曲が再演される日はくるのだろうか…。

このツアー直前にモンスターハンター4Gが発売されてしまったせいで、ヨコとすばるくんと大倉くんがMCで超絶くだらないゲーム話に花を咲かせているのが本当に楽しかった。
ま、そのトピックスが客前で披露されるのは年が明けて2015年のお話なのですが。







というわけで、2015年へ続く。