暇記

カキーン

2010年までのことについて綴る。

今日は12月15日。
会見の日から8ヶ月。エイトが6人になって早5ヶ月。
あと半月ですばるくんはジャニーズ事務所を退所して、年が明ければ森永のCMも7人じゃなくなって、TV LIFEの連載の顔写真も7つじゃなくなくなって、公式ホームページのプロフィールも7人分じゃなくなって、関ジャニ戦隊∞レンジャーからレッドがいなくなって、カンテレに置いてあるジャニ勉のパネルも撤去される。*1

来年以降も暫くは、ふとした時に喪失感に直面することが度々あるんだろう。7人のころの曲を6人で歌い直すとき、過去の映像を目にするとき、彼らが話す昔話を見聞きするとき、きっとその度にすばるくんのことが浮かんでしまうんだろうなぁ。予め覚悟しておかなければないな。うん。
仕方ない。すばるくんは2002年の冬に”関ジャニ8”になりそれは2018年の7月14日まで続き、たとえ辞めていなくなったとしてもその間の16年間が無に帰すことは決してない。2018年7月14日までの全ての事柄はこれからも記憶&記録に残り続ける。
私がエイトを好きになったのは2007年の晩春でその間特に離れることもなかったので、7人としてのエイトをかれこれ11年間強見続けていたことになる。でも、その時間は今後はもう更新されることはない。これからは6人としての関ジャニ∞の時間が増えていくだけ。
当初から私はずっと大倉くんのファンだった。でも、私は7人の関ジャニ∞が大好きだったし、すばるくんのことも大好きだったんだよね。
渋谷ファンじゃなくともすばるくんを好きだったひと一人一人にエイトのそしてすばるくんに関する記憶や思い出があって、それは私も同じ。とはいえ来年以降はきっともう今年ほど反芻することもないだろうし、良い&最後の機会だし、自分の中のいろんなすばるくんを思い出しながら書き残していこうなと。
乏しい記憶力を元に適当に書いているだけなので記憶違い等はあるかもしれませんが、その点は後からしれっと書き直しておくことで辻褄を合わせていこうと思っています。



ジャニーズに関心ZEROの10代を過ごしていた私ですら当時からヨコとすばるくんとヒナちゃんと錦戸さんのことは知っていた。
何故かあぶない放課後も見ていた。どう見ても渋谷すばるの方がいい顔してるのにニノを選ぶ加藤あいどうかしてるやろと思いながら見ていたりもしたけれどあの時はニノ本当にごめんな悪気はなかったんだ。気遣いもなかったけど。
関西という土地柄なのか身近にも彼らのファンがチラホラいて、よく松竹座のdemachi話を聞いたり芸人目当てで毎日録画していたなるトモを彼らが出る度にダビングしてあげたりもしていたけれど、まあ自分とは関わり合いのない世界の人たちだなという印象しかなかった。

そんな私がはじめて関ジャニ∞を見たのは彼らにとって初めての京セラドーム公演だった。
チケットが余ってるからと誘われてなんとなく。正直興味半分どころか興味本位でしかなかったのもあり「ジャニーズの舞台装置すごいな*2」という点以外さほど記憶には残っていない。

にもかかわらずその三ヶ月後に見たミュージックステーションで私はあっさりと関ジャニ∞のファンになった。
CD、DVD、過去映像を漁りまくる日々。身近にファンがいたので遡り放題だった。
この頃はじめて見た「Heat up!」のF.T.Oで、いつもは終始メインを張っているすばるくんが終盤になって満を辞してといった感じで出てくるその使い方と存在感にグッときて、一時この曲ばかりリピートして見ていたことを覚えている。

47の時期、すばるくんはwebで全国各地の公演の感想を毎度必ず書いていた。私は幼少期から日記の類いがまったく続かないタイプだったので、仕事とはいえちゃんとマメに書いてえらいなその土地土地の人はすごく嬉しいだろうなと思った。
飛行機が苦手な大倉くんが、機体が揺れた際につい隣にいたすばるくんの手を握ってしまったという話がとてもかわいくて好きだった。
この頃はまだ”アイドルにハマる”という事実に自分自身が戸惑っていたのもあり、現場に行くことに関してはあえて自らブレーキをかけていた感はあった。47も大阪しか行かなかったけれど、東京ドームにも行っておけば良かったなぁ…と今さら後悔したところで遅いにも程がある。
超ロン毛だったすばるくんは途中でいったん毛先を切り、沖縄で焦げて、イッツマイソウルのプロモーションの頃には黒焦げ短髪姿になっていた。
うたばんだったかぷいぷいだったか、その姿を見た時「短髪のすばるくんの方が好きだな」と錦戸亮から怒られそうなことを思ったと同時に「この短いタームでこの変わりっぷり、アイドルってすごい…!」と感動し、アイドルを愛でることに付き日々驚くことがこの頃はまだまだたくさんあった。

47後に出た写真集で、ただ一人すばるくんだけがツアーを完遂したことについて若干ネガティブな言葉を綴っていた。いくらでも繕えるのに、よくこんなこと載せたなと思った。めんどくさい人…と思いながらこういう危うさも彼の魅力だったりするんだろうと思った。
47のセットリストを決める際、ヨコと錦戸さんがスタッフが止めに入るくらいの喧嘩をしたこともこの本に書いてあった。その折衷案としてすばるくんの案が採用されたことも。
成る程、すばるくんって意外と7人の中ではスイス的存在なんだなと思った。

繰り返し見た47のDVD。
楽屋で転寝している錦戸さんを襲撃する時の顔、マジカルが起きなかった錦戸さんを見て笑う顔、錦戸さんと並んで「みんなエイトのメンバー」って言いながらふざける姿、どれも楽しくて何回も巻き戻して見た。私も例に漏れずに、すばるくんと錦戸さんの関係性は大好きだった。
しかしながら、2007年末の安田くん相手の聞くジャニ∞で、すばるくんが錦戸さんに対して「(性格やセンスが)自分とよく似ている」けど「もっと大人になろう」と今年を振り返りながら半ば苦言めいたことを言っていたのをとてもよく覚えている。
よほどこう、口にせずにいられないようなことがあったんだろうなそりゃあんなタイトに47都道府県を一緒に回っていたらいろんな面も見えるよなと思った。でも、いいところも悪いところも含め様々な時間を共有している彼らが私にはとても素敵に見えた。

年末に大倉くんがトークゲストで出た少年倶楽部プレミアムで演奏された「Eden」がとてもよかった。
何となくだけど、すばるくんや錦戸さんはこういうことがやりたいんだろうなと思ったりもした。


2008年、ようやく出たシングル=ワッハッハーのなんとも言えない感じといい売る気のなさといい、このグループは大丈夫なのか…と危惧したりもしたけれど、PVだけはやたらめったらかわいかった。
ツアーではtornよりも何よりも、ヨコヒナそして6人をバックにつけた愛してる愛してないにグッときた。センターにすばるくんが立った時の関ジャニ∞はやっぱり美しいなと思った。

2008年はNEWSがCMやらシングルやら乱発する中、Can!ジャニという冠番組は開始したもののレギュラー仕事以外さして表立った仕事がなかったエイトを心配しつつ、個人的に私生活がゴッタゴタで疲弊しまくっていたのもあり夏以降のことはあまりよく覚えていない。
疲弊MAXのあたりにようやく発表された新曲=無責任ヒーローは本当にバカバカしいお祭りソングで、逆にこちらは助けられた感があった。しんどくてたまらなかった時、iPodに入れたこの曲のPVを延々リピートして見ていた。今もこの曲を聞くと、あの頃の自分の心情やその時の空気、景色、匂いを鮮明に思い出す。「ジャジャジャジャーン!」という歌詞に郷愁感を覚える人生になるとは夢にも思わなかったな本当に。

この頃はどちらかというと個人のそれよりもグループ仕事を欲していたのもあって、大倉くんのソロコンやら仕事人仕事よりも内くんのコンサートにヨコとすばるくんとまるちゃんとヤスくんが揃って行ったことの方が正直なところグッときた。
一方すばるくんはこの時期にFIVEというジュニアのグループとFLAT FIVE FLOWERSというバンドを結成し、活動をはじめた。
前述したようにこの時期は私生活が荒廃していたので、半ば義務感で大倉くんのソロコンを見に行ったくらいでそれ以外はレギュラー番組をなんとなく消費することくらいしかしていなかった。
FFFにおけるすばるくんの言動でエイトのファンがざわざわしていたのも、FFFのすばるくんがエイトの時と比べて明らかに活き活きしていたということも何となく把握はしていたけど、あまり深く考えずに流していた。
錦戸さんがNEWSのお仕事ばかりしていたこの年、NEWSのコンサート会場を借りて行われたカウントダウンコンサート終演後に隣の東京ドームシティホールでの内くんとFFFが出た初日の出ライブに錦戸さんとヤスくんが揃ってステージに上がりHeavenly psychoを歌ったことは、いちエイトのファンとして素直に良かったなと思った。


2009年、年始から暫くはレコメンでヨコヒナがグループとしての仕事が無いことを自虐していたのを覚えている。
片やすばるくんは、FFFからマッチ主導のJ ROCKへその活動の規模が広がっていた。
自身が相変わらずゴタついたのもあって、正直すばるくんのFFF絡みの活動については他所の出来事感が強く、その是非はおろか好き嫌いすら自分でもよく分からなかった。でも、ヤスくんがFFFにアートワークで協力し他のメンバーも皆公演を見に行ったりしている中、大倉くんだけはそういった話をまったく聞かなかったので、あの人そんなに忙しいのか?!と違和感を感じたりもした。
ま、その答えはそれから三年後に分かるのだけれど。

この頃すばるくんはいろんなメディアで「自分たちが先駆者となっていずれ音楽をやりたいと思ってるような人がジャニーズに入るようになったらいい」みたいなことを言っていた気がする。
夢を叶える方法や途は千差万別とはいえ、それはあまりにも絵空事だろうと正直思った。普通はそんなことを口にすること自体躊躇ってしまうと思うんだけど、すばるくんは本気で可能性を信じていたのかもしれないね。でもまあ、鯔のつまり。
J ROCKの方々は武道館でコンサートを開催、その後DVD発売が決定し公式HPにジャケットまでアップされたのに、直前になって販売が中止になった。
何が問題だったのか私には知り得ないけど、残念なことになってしまったなと思ったことは覚えている。
そしてこのあたりから徐々に暗雲が立ち込めて少し前まであれだけ活発かつすばるくん肝入だったFFFも活動らしい活動が行われなくなったなそういえば。

PUZZLEは二年ぶりかつエイトを好きになってはじめて出たアルバムだったのもあり、個人的に格別の思いがあった。
しかしながら、特典にユニット決めやその曲のPV撮影の様子も入っていたけれど、打ち合わせの様子やPV撮影の様子、さらにはコンサートにおける扱いに至るまで「Glorious」は終始”微妙”でしかなかった。もし長野の後だったらこの3人のユニットはまた違ったものになっていたのかもしれないのにと今になって思う。
最終地の京セラドーム、それまでの彼らとはまったく違って見えたなぁ。

カメラワークが最高に残念でおなじみのPUZZLEツアーのDVD。一秒KISSのBメロで順番に踊り繋いでいくところがまったくといっていいほどうつっていないのは未だに恨んでいる。
特典のBabun。ネタばらしの際、ヒナちゃんがひたすら可哀想過ぎる状況下で皆がその正解を考えあぐねている中、ここまで巧く切り込み最善の肢を選べるのはすばるくんだけだろうなと思った。

この年の9月、すばるくんはDREAM BOYSに出ていた。
バンド活動に勤しんでいた一年だったからこそ、この人もまだいわゆる”ジャニーズ仕事”をするんだなと驚いた。この件に関しては、すばるくん出演してもらいたいジャニーさんがまずそのことをヨコに相談したという話がとてもかわいくて好きだった。

一年ぶりのシングル「急☆上☆show!!」。
音楽番組に出るたびすばるくんは前髪をJにしていた。突然しはじめたヘアスタイリング、「意味わからん」と思いながら、やっぱり顔がいい人はどんなトンチキな髪型でもかっこいいんだな顔がいいってすごいと今更すぎることを改めて痛感した。

12月23、24、25日連続でのシングルリリース。仕事終わりにタワレコに寄りCDを買って帰ったあの3日間、クリスマスそっちのけで毎日大いに浮かれていた。
そしてこの年の年末、京セラドームで初の単独カウントダウンコンサートが行われた。
今となっては想像もつかないけれど、大晦日の夜公演を除き公演前は駅からドームまで「譲ります」のプラカードを持った女の子だらけだった。
そのくらいにチケットが溢れていたので、私も初めて全公演に行った。
desireはヤスくんが手掛けた各自のスタイリングがとてもよくて、初日にモニターにアップになった時あまりの妖艶さに客席からため息のような声が漏れていたのを覚えている。
413manでバックバンドを務めていた際、自分の歌の癖や個性を全部消してヨコの声にやさしくコーラスを当てているのを見て、すばるくんってこんな歌い方もできるんだ…と新たな一面を見た気がして感動した。
ある公演中、たしかアンコールの時だっただろうか。たまたま近くにいたすばるくんに目をやると彼が一人ステージ上で泣いていることに気づいた。それは…飽くまで私の主観だけれど、嬉し泣きとか感極まってとか、そういうポジティブな涙ではないように見えた。
こんなにも楽しい空間なのにいったい何が悲しいんだろうと、自分の楽しさに水を差された感じがした。
その直後、そんな様子に気づいた安田くんがさっとすばるくんに近寄って行き彼の肩を抱いていたのを見た。
私みたいなファンなんかには到底分かり得ない、メンバーだからこそ、否、安田くんだからこそ知っているそして即座に理解できる”渋谷すばるの事情”があるんだろうとその時思った。


2010年。
前年の秋からこの年の春まで放送していたテレ朝の関東ローカル15分(!)の深夜枠で放送していた関パニは、本当に面白い番組だった。
きのこが食べられないすばるくん、辛いものが食べられないすばるくん、逆さ文字が書けないすばるくん、マイケル化するすばるくん、カレーを赤子にするすばるくん、基本ポンコツなのになぜか台詞の暗記だけはサラリとやりのけるすばるくん。いろんなすばるくんが今も記憶に残っている。

関パニが終わり冒険JAPAN関ジャニ∞MAP放送開始。
全国各地をエイトが旅して楽しむだけの旅番組。放送当時はメンバー全員出ないことを不満に思っていたりもしたけれど、今となっては実に贅沢な番組だったなと思う。当初すばるくんは普通に船に乗っていたものの、後半になるとなぜか一人船に乗らなくなったのも今は昔。
震災後、録画したものを見ていたらその半年ほど前にヨコとすばるくんとヤスくんが気仙沼の港で楽しそうにロケをしていてふと涙が出たなんてこともあった。

初夏、その関ジャニ∞MAPのテーマソング「wonderful world!!」がこの年の一枚目のシングルとして発売された。そして、詳細が発表された時点で物議を醸していたその特典映像を再生したファンが一気にざわつき出したと同時に、貼られていたKEEP OUTが無くなり「8UPPERS」という謎の企画が本格的にスタートした。
日々少しずつ更新されるclub∞。あの頃は今ほどtwitterに(おかしな使い方をする)人がいなくて、エイトが好きというただそれだけで集っている”エイトクラスタ”が小出しにされる情報にああでもないこうでもないと妄想を膨らませている時間は、文系おたくとして実に楽しかった。

そして8月に「LIFE~目の前の向こうへ~」が発売された。
PVが解禁されたその日、今までは決まってどこかしらファニーな要素が入っていたのにこの時は終始カッコいいだけで、逆にファンが戸惑っていたのが今でも忘れられない。
それに合わせての2週連続Mステ出演。ミュージシャンも構成上アテ振りする人が大半の中、楽器の周囲に大量のマイクを用意しての生歌&生演奏。
なんていうか、しみじみとヘタクソだった。皆、各々にヘタクソだった。でも、わざわざちゃんと演奏して歌うその気概にグッときた。私は彼らのファンだから。まあヘタクソではあったんだけど。

その後8UPPERSの全容が明らかにされ、10月11日には一日限りで全国ロードショー公開もされた。
事前情報をあまり入れないで見に行ったこともあって、見終わった後の衝撃たるやなかった。
おたくの都合のいい妄想や願望を具現化したかのような76分間。すばるくん否アーセナルは、めっちゃくちゃにカッコよかった。
以前もtwitterで触れたように個人的に一番好きなシーンは赤子を背負ったアーセナルがジャッキー&ガム&エースから揶揄われながらも居直って銃を構えるシーンなのだけれど、この場面を映画館で見た時「こんなエイターが欲望のままに作った二次創作のような萌え映像を、関ジャニ∞(本物)を使って世に出していいのか…?!」と心底驚愕した。

映画「大奥」の公開日、Mステで8UPPERSのリード曲である「アニマル・マジック」を披露した。
終盤の、二人ずつユニゾンで歌い繋ぎ最後にすばるくんが一人で歌い〆る様が、絶対的センターかつリードボーカルという感じで実に様になっていた。ま、同時に杉本彩に興奮したというゴールデンタイムにそぐわぬ話もしていたけど。

8UPPERSツアー。
テクノメドレーを見るためにチケット代払ってるようなもんだと思いながら足を運んでいたけれど、もちろんそれ以外も楽しかった。
Jack Hammerの落ちサビで地団駄を踏みながら歌うすばるくんがものすごくカッコ良くて、その箇所ではいつも決まってすばるくんを見ていた。
コンサート中に突如はじまるウインクキラーコーナーの罰ゲームは”嬉し恥ずかしラブレター”。当時から個人的に一番印象的だったのは、すばるくんに対するヤスくんの「一番とは言わんけど何番目かに愛してください」という一節。
一時は一人で買い物に行けないくらい内向的で人間不信だったすばるくんを一番側で支えて受け入れて慈しんでいた安田くんが、すばるくんにとってもう一番の存在ではないということを安田くん自身が分かってしまっているんだなとしみじみ感じた悲し切なしラブレターであった。

この年の10月にすばるくんにとってはじめての冠番組である「スバラジ」がスタートした。
演技仕事の比重が大きくない他のメンバーは皆グループの冠番組以外のレギュラーを持っているのに唯一すばるくんだけそれがなかったので、スバラジが決まった時は本当に嬉しかった。すばるくんが一人でバラエティの司会をしているのもパネラーをしているのもどちらもしっくりこないなと思っていたので、一人ラジオのお仕事は理想的だなと思った。
大倉くんのオールナイトニッポンがはじまるまでは、ほぼ毎回聞いていたなぁ。コーナーもネタはがきもウィットに富んでいて、羨ましかった。

年末に放送された「モンハン祭り@レコメン」は、今もたまに聞き返す。今年もMHWをやりながらBGM代わりに流していた。
各々のプレイスタイル話からはじまり、絶え間なく繰り出されるモンハンあるあるネタや下ネタ、不毛すぎるメンバー内マウンティング、そして常にヒナちゃんに対して(ハンター的な意味で)上から目線だったすばるくんが最終的に乙り3人からバカにされて終わるというオチが完璧すぎるくらいに完璧で、実に最高の3時間だった。
この回で「僕は、実力はあります」と自慢げにオールマイティープレイヤーを名乗る大倉くんに憧れてあらゆる武器に手を出した私は、長いガンナー期を経て最終的にランサーになりましたとさ。






2011年へ続く。*3

*1:※予想

*2:翌年嵐のドームコンサートに行き同社比的に実はそんなすごくなかったということを知る

*3:年内までに2018年にたどりつけますように…