暇記

カキーン

フトコロノカタナを見たので必殺仕事人のことについて綴る。

「Bに続く」と書いておきながら続かへんのかいと自らに突っ込みつつ、先に開封した「ジャム」初回限定盤Aの特典である「フトコロノカタナ」を見て思うことがあったので少々吐露しようかなって。


必殺仕事人がレギュラー放送になる際の会見で、大倉くんは「そろそろ結果を出さないといけない、このドラマに自分の人生がかかっている」と大勢の前で大真面目に言いのけ、その出どころがよくわからない絶体絶命ぶりを見た先輩方に苦笑というか失笑されていた。

あの年…2008年はエイトにとっていろんな意味ですごく空虚な年だったと個人的には思っていて、だからこそグループとしての飛躍を何よりも望んでいた大倉くんは自分がどうにかしなければと相当切羽詰まっていたんだろうし、実際彼はこの役に、このドラマに、人生をかけていたんだと思う。
しかしながら、藤田まことさんをはじめ錚々たるメンツの中に放り込まれた大倉くんは他の共演者の方々とくらべても明らかに影が薄く、芝居も下手で、毎回の出番も少なかった。とはいえ、一番下っ端といえども”仕事人”だし、歴史もあり固定ファンもいるいわば安牌なドラマの主要メンバーの一人にはかわりないのだからとその現状を楽観視していた。勿論、間も無く降板させられるなんてことは夢にも考えていなかった。

3月のはじめ頃だっただろうか、どうやら源太が殉職するらしいという噂がファンの間でにわかに立った。
最初はその噂については懐疑的で、それに対する反証っぽいものを探し出しては「やっぱウソじゃん」と自らを安心させていた。が、時間が経つにつれて状況証拠が増えていき、その噂の信憑性はどんどんと増していった。
いちファンとしてモヤモヤする日々を送っていたある日、大倉くんが生放送の情報番組「なるトモ」に出演することになった。
その放送日たまたまお休みだった私は、テレビに出ている大倉くんを見た瞬間フリーズしたことを今でも覚えている。それまで源太の役柄に合わせて真っ黒だった髪の毛が、ものすごく明るい茶色になっていたのだ。
ああもう黒髪である必要は無くなったんだな、つまり源太を演じる必要が無くなったということなのだなと、この時ばかりはさすがの私も察せざるを得なかった。

それから数週間後、源太が死ぬということが正式に発表された。テレ朝系のワイドショー等でも取り上げられ、1クール目終了の目玉としてそれなりに話題にしてもらえた。でも、だからといって何かが好転するわけもなく、その事実が公になってから放送日までの数日間私は周りの人に心配されるほどの凹みっぷりで、食も細り、大人げなくもげっそりしながら放送日を迎え、ある種の義務感にかられながら、葛藤する場面も殺される場面も事切れる場面もリアルタイムでちゃんと見た。最期、源太は河原で火葬されていた。燃やされてるのは飽くまで「源太」であって大倉くんじゃないのに、その日の晩に早速源太の夢を見てしまうくらいなかなかショックな最期であった。
結局、本放送から今に至るまで一度もその回は見返していない。


源太が死んだことはもちろん素直に悲しかった。それに2クール、つまり半年間毎週大倉くんを見られると思っていたのにそれができなくなったのは単純に残念だった。
でも何より私を凹ませたのは、あの時大倉くんが必殺仕事人に対して尋常じゃないやる気と覚悟をもって臨んでいた…というその顕著な事実であった。
会見で「自分の人生がかかっている」とまで言い切ったのにそれをかけ切るまでもなく途中降板させられ、よりによって同じ事務所の同い年のタレントにさっさとすげ替えられてしまった大倉くんの気持ちを思うと、なんかもう、居た堪れないものがあった。
大倉くんから代わったその人はもともとお芝居には定評があった。だから仕事人も、それこそ大倉くんよりはるかに上手くやるんだろうなと思った。そして視聴者はすぐにその新しい仕事人を受け容れ親しみが湧くと共に、三か月で殉職した人のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうのだろう…と、負の自家発電の如く勝手に想像して勝手に凹んでいた。
だから、それ以降もう必殺仕事人は見ないようにした。比べてしまうのも嫌だったし、後任の彼自身は何も悪くないのに無駄に負の感情を持ちたくなかった。まあ正直いうと見なかったというか見れなかったのだけれど。



髪の毛が黒から茶色になった大倉くんは、休む間も無く歌にバラエティにとアイドル業に勤しんでいた。
源太を演じていた期間、真っ黒かつ無秩序な長髪で23歳のアイドル(今だと知念くんあたりがそうらしいヨ)らしからぬ風体をしていたのに、あっという間にアイドル然とした姿に戻った。殉職して唯一良かったと思えたことでもあった。
そして降板して間も無くアルバムのプロモーションが本格的にはじまったのでその際仕事人のことに触れざるを得ないこともあったものの、「"死"に向き合ったのでつらかった」というざっくりとした感想や出来事のみを淡々と口にするだけで、感情的なものはほぼ聞かれなかった。


必殺仕事人から離脱して半年後、大倉くんははじめて連続ドラマの主演を務めた。そしてその後もいろんな作品に出演をし、源太を演じていた当時とは比較にならないくらいに演技自体は上手になった(←すごいエラそう…何様だよおまえ……)。しかしながら、どの作品からもあの時ほどの強い気持ちを感じることはなかったというのが正直なところだった。
やる気だけじゃどうにもならない、人生をかけたところで何もならなかったという経験が彼をそうさせてしまったのかなぁ…とその度に思い出すのはやはり必殺仕事人のことだった。
よくも悪くも頭の中を支配され感情を刺激された必殺に対し、それ以降の作品は…なんていうか、どれも心が動き難いものばかりだった。それを見る/見た理由は10割大倉忠義であって、作品自体に囚われることも、溢れ出る感動を何かにしたためたいと思うこともほぼなかった。端的にいうと…面白くなかったのだ。
そういうことが何年も続き、いつの間にか私は大倉くん個人の演技仕事を全力で楽しみだとは思えないようになってしまった。端から過度な期待はせず、大倉くんがお仕事をする、それと共に露出が増える、さて今回の見た目はどうかな?とそれのみを楽しむように努めた。まあ、それはそれでそれなりに楽しくはある。たまに良い作品に当たると棚ぼた的に有難い気持ちにもなれたし。
でも、見ていて心が震えるような、感情のリミッターが外れてどうしようもなくなるような感覚を、大倉くん個人のお仕事で感じられる日は果たして来るのだろうか…と時折思ったりしていたのも事実だった。


前述のように、必殺仕事人を降板した直後の大倉くんはそのことに関しての本音は口にはしてくれていなかった。つらかったと漠然とした表現でお茶を濁し、「朔太郎のことだけが気がかりです」とwebに書くのがその時の精一杯だったのかもしれない。
でもよく言われるように時間というものは偉大なもので、その経過とともに大倉くんは当時の詳細を少しずつ教えてくれるようになった。
ある日突然降板を知ったこと、プロデュサーから言われたとき時死刑宣告を受けたような気持ちになったこと、こうなってしまったのは自分が至らなかったからだと思い悩んだこと、藤田まことさんから言われたりしてもらったことがとてもうれしかったということ、そして降板後一か月は抜け殻状態で過ごしていたこと…等々。機会があるたびにいろんなことを明かしてくれた。

今回の「フトコロノカタナ」は、過去を思い返してもおそらく一番そのことに対する本音を明け透けに語っていたんじゃないかな。何より文字ではなく、本人が直接その核心に触れつつ喋っているのをはじめて目にしたのもあって見ていてなかなかしんどいものがあった。
「悔しかった」「もっとやりたかった」、そして「(源太が死んだ)次のクールの仕事人は見られなかったし今も見てない」ということは、私も今回初めて知った(けど既出かもしれないでも人の記憶力ってそんなもんだし!)。
受け入れて、飲み込んで、消化して、昇華して、臆することなく言葉に出来るまで、これだけの年月が必要だったんだな…としみじみ思った。

この時、お芝居について「苦手」「苦しい」「藤田さんの『続けていってくれよ』という言葉が無かったら俳優業やってないかも」と言っている大倉くんは、いったいどれほどの意気と覚悟で蜘蛛女のキスに臨んだんだろう。まあそれは本人しか知る由はないことだけれど、「未来は今次第」だと語ったこの約2ヶ月後に無事初舞台をやり遂げて「好きになった」と笑顔で言える近未来がくることを、この映像の中の人はまだ知らないんだな…と、なんともいえない不思議な気持ちになった。

見ていて心が震えるような、感情のリミッターが外れるようなお芝居を、貴方は間も無くすることになるんだよ!と「初めての舞台の前に京都に来れて良かった」と神妙な面持ちで語る画面の中の大倉くんを見て思い、そしてまたヴァレンティンとモリーナに思いを馳せるのです。


あゝ本当に、短かったけれど幸せな夢だったな…というわけで、今度こそ本当にBに続く。