暇記

カキーン

2016年1月17日の出来事について綴る。の続きを綴る。の続きを綴る。

2016年1月17日の出来事について綴る。の続きを綴る。 - 暇記

↑の続き。
勝手に仕上がれの後、例によってすばるくんが喋り出す。

すばるくんの挨拶の詳細は検索をかければ山ほど出て来ると思うので割愛して、さらに以下はほぼ事実ではなくほぼほぼフィクションであるということを前置いておく。


件の挨拶の中ですばるくんは「六人だろうが七人だろうか八人だろうが関係ない」と言った。
最初に聞いたとき『んなアホな関係あるし六人よりも七人がいいに決まってるじゃないか』とちょっと凹んだ。
さらにその後「今日は六人だけど、そんなことは関係無い」ってまるで追い打ちをかけるように。
『関係あるよ…ただでさえつらいひとたちに向かってなんてことを言うんだろう』と思った刹那、すばるくんの言葉が止まり「今日は悲しい思いをした人はいると思うけど…」と言いながらその大きい目に涙をいっぱい浮かべ出した。

会場内を回るとき(いわゆるファンサタイムってやつですね)、すばるくんはいつも口角をちょこっとあげてどこを見るともなく客席に向けてゆっくり手を振っている。そのやり方が良いとか悪いとかじゃなく、それが彼のポリシーなんだろうし、個性だ。
そんなすばるくんが、明らかに大倉くんのファンだと分かる子に対して笑顔で力強く手(というか団扇)を振っていた。それも何度も。
大倉くんのファンがすばるくんに手を振られて果たして嬉しいものなのか…ってそんなもん嬉しいに決まってる。嬉しくないはずがない。わたしにも振ってほしかった。

大倉くんを好きな人たちが今この会場にどんな気持ちでいるのか、すばるくんはちゃんと、分かり過ぎるくらいに分かっていた。そしてその人たちが…いや、その人たちだけじゃなくて、今日ここに居るすべてのひとに今日のコンサートを悪い思い出にして欲しくないし絶対にそうはさせないという気概をコンサートのあらゆる場面でひしひしと感じた。それはもちろんすばるくんだけじゃなく、六人ともが一様にそうだった。
たとえ六人だろうが七人だろうが八人だろうが、関ジャニ∞としてこの場に立っている以上自分たちは自分たちのコンサートに来ている客を一丸となって全力で楽しませなければならないというアイドルとしてのプライドが、すばるくんにああいう言い方をさせたんだと思う。
でも、やっぱり楽しめなかった人はいる。その人たちを楽しませられなかったことが、本当に悔しかったしつらかったんじゃないかな。

そもそも、人数が関係なくないこと…突然大倉くんが居なくなるということがどれほどのことか、それを会場で一番実感しているのはきっとエイトの六人だったはず。
明らかに気負っていたり、いつになく笑わせようと努めていたり、一切茶化そうとしなかったり、普段間違えないところで間違えたり、徒に浮き足立っていたり…いつもと違うところはこの二時間で山のようにあった。関係ないわけないよね。居なくなって大丈夫なはずがない。それなのに一瞬でも疑ってしまって本当に申し訳なく思ったし、それより何よりわたしにも手を振って欲しかった(2回目)。

挨拶の最後の方で目を真っ赤にしながら「七人でさらに強くなって立ち続けるから、また絶対に来て」とすばるくんが言っていた。
そうだね、さらに強くなったエイトを見にまた絶対に来なくてはいけないだからチケット(以下略)


アンコール。いつも大倉くんと一緒に気球に乗ってる安田章大(31歳)の隣には錦戸亮(31歳)が。これについては無邪気に喜んだ。
だって三馬鹿と山田と同じくらい、みんなヤンマーのことも大好きでしょう?


そして最後の「元気が出るSONG」へ。
この曲はメンバー一人ひとりが作詞作曲をしていて、自分がつくった箇所はその本人がそれぞれ一人で歌うことになっている。大倉くんが作詞作曲をした部分を今日はいったい誰が歌うのだろうかと思っていたところ、メンバーからお客さんみんなで歌うことを提案される。
イントロが流れ、いつも通りヤスくんから歌い始める。その次に歌うのはすばるくん。その手には大倉くんの団扇が。
「7つ根っこで引っ張り合って」「これからだって10年後だって」と、団扇の大倉くんに呼びかけるように力を、気持ちを込めて歌うすばるくんに胸が熱くなった。
すばるくんに続きヒナちゃんが歌い出す。
いつもこの曲ではメインステージを横に広く使い、それぞれが数メートルごと等間隔に並び最初から最後まで同じ場所に立って歌っていたので、モニターに抜かれたところでその横に誰かが映りこむ筈も無かった。それなのに、この日モニターに映ったヒナちゃんのすぐ横にはなぜかヤスくんが。
ふと気づくと、両脇の五人が真ん中に立っているすばるくんのもとに集まってきていた。
広いメインステージの真ん中で小さくギュッと固まったまま、歌い続ける六人。ああこれはわたしが好きなエイトだ。今とてもすてきなものを見させてもらっているなあと思う一方で、この場に大倉くんが居ないことがやはりものすごく寂しかった。
「思い出の欠片を集めて夜を明かそう くだらないことでもいいよ ボクらにだけ解ればいい」という歌詞を、まるちゃんは「今日の日の出来事いつの日か皆で話そう くだらないことじゃないよ ボクらにだけ解ればいい」と替えて歌っていた。今日のことを七人で笑いながら話せる日がきっと来る。
そしてまるちゃんの次には大倉くんのパートが。事前の提案通り会場全員で歌おうとするものの、あまりにも音程が低過ぎて客の声が出ないというおもしろ現象が起きる。それに気づいたすばるくんが途中からオクターブ上で歌って導こうとするものの、皆が皆そんな臨機応変に対応できるわけもなく。…なんでこんな低い音程の曲を作ったんやと病床の大倉くんに文句を言いたくなった。
その大倉くんのパートは「支えるから」という歌詞で終わる。何とか最後まで歌いきったあと、団扇の大倉くんに向かって「支えるよ〜」と声をかけるメンバーたち。「”支えるから”ってお前のことやったんか!」と笑いながら皆で突っ込むこの優しい光景を、大倉くんにも見て欲しいなと思った。

途中、七人が順番に「ずっと一緒」と言い繋ぐ箇所がある。この曲が世に出た当初から、この”ずっと一緒”には度々気を揉んで来た。
この世が諸行無常であることは自明の理である。絶対的なことなんてまるで無く、日々は常に不確かだ。彼等が身を置いている芸能界そしてアイドルの世界も勿論例外ではないどころか、よりそれが顕著であることはその世界と何の関わり合いもない一般人のわたしにだって分かる。
そんな彼等が口にする「ずっと一緒」という言葉。
何と何が如何様にして”ずっと一緒”なのかそしてそれはいったい誰に向けての言葉なのか、漠然としているが故に湧き立つなんとも言えない心許なさ。
経年と共に人の気持ちや状況なんて容易く変わってしまう。同じ曲の中で「この時間が永遠に続けなんて願わない」と歌っている彼等は、端からそんなことは無理だと解っているのかもしれない。それでも、せめてこれだけはそうあって欲しいと祈るような気持ちで自己暗示をかけているかのようにすら思えて、聞くたびに悩ましかった。 
その言葉を、この日彼等は笑顔を浮かべながら大倉くん(の団扇)に向けて歌っていた。
聞く度に憂わしく思えたそのフレーズが、驚くほど力強くそして自然と耳に入って来た。漠然としていたものが瞭然となり、この言葉の、この曲の実質がようやくちゃんと理解出来た気がした。

「いつか永遠と呼べるまで」という歌詞でこの曲は終わる。その最後を「お大事に」と替えて歌う錦戸さん。そんなんされたら笑うしかないやろ。
決して明るくはない曲調と歌詞、タイトルの不相応さを鼻で笑ってすらいたこの曲は、紛れもなく「元気が出るSONG」だった。
でも、これを聞いてこの地球上で一番元気が出るのは間違いなく大倉くんだろうから、どうにかして聞いてはやく元気になってもらいたいなと思った。


大きな拍手を送るくだりでは、子供、親御さん、男、スタッフそして京セラドームに加えて大倉ファンにも拍手を送ってくれていた。そして恒例の手繋ぎでは、大倉くんも団扇で参加させてもらっていた。
最後、普段は七人が横並びになっているその両脇から扉が閉まっていき最終的に真ん中に立っているすばるくんの目の前で扉が閉まり公演が終わるのだけれど、この日は皆が真ん中に集まってドアが閉まるのを待っていた。勿論そこには大倉くんの団扇もあった。…どこにでも現れるこの団扇。この日世界で一番多用された団扇は、間違いなくこの大倉くんの団扇だったであろう。


ダブルアンコールを求めるエイトコールに呼ばれて六人がステージに出てきた。
「どんなん欲しいの?」「大倉が欲しいの?」って、そりゃまあそうだけど。
久々のダブルアンコール、いったい何をするんだろう…と思っていた最中、メンバーからダブルアンコールには応えられないとの報告。ブーイングにも似た声が上がる。
曰く、大倉が居ない状態ではやれない。自分たちも納得出来ない。やらないのが男の美学だ、と。
…この点については賛否両論があったのは何となく把握している。
正解なんてない。それぞれの思うことがそれぞれに正しいんだと思う。
わたしはといえば…確かにもう一曲聞けるのかなという淡い期待もあった。単純に、一曲多く聞けた方が得だしね。
でも、大倉くんが居ないエイトは飽くまでも不完全であって自分たちが納得出来る状態では決してないということを明言してくれたのは正直嬉しかった。”大倉が居ないと俺らはダメなんだ”って言われて、大倉くんのファンとしてガッカリなんてするわけない。だから絶対にダブルアンコールをやらないと決めた彼等の答えをわたしは素直に受け入れた。
そして、六人のコンサートが終わると共に関ジャニ∞の元気が出るLIVEツアー全公演が終了した。


”大倉くんの不在”を物理的にも精神的にも必死に埋めようとしていた六人のコンサートは、良くも悪くもすさまじかった。
キュウソネコヲカムではないけれど、危機に直面してはじめて生じるものは確かにある。わたしが今体感しているこの「すさまじいこと」は大倉くんが居ないからこその産物なのだろうか、大倉くんに何も起こらずいつも通り無事に滞り無く行われていたコンサートとどちらがすごいものになったのだろう…とどうしようもないことを延々考えあぐねている中でヒナちゃんから発せられた”こんなことが無くても僕たちは固い絆で結ばれている”という言葉は、本当に救いでしかなかった。そして、大倉くんがいない六人のコンサートは、すさまじかったけど決して万全でも完璧でもなかった。大倉くんは彼等にとって絶対に必要だった。それを露呈しながらも全力で臨む六人の姿は本当に感動的だった。




とはいえ、今回のコンサートをもう一度見たいか?と聞かれたら答えは全力でNOである。
あんなコンサート、もう二度と見たくない。

今回双眼鏡をほとんど覗かなかった。わたしがあの重い双眼鏡を覗いてまで見たいものは、思いのほか限られているんだなと思った。
自分が見たい人の見たいものを見るつもりで来たのに、それがそこに無いという戸惑いと虚無感。途中「何を見たらいいのだろうか…」となった瞬間が何度かあって、そんな自分に吃驚した。

死人扱いに『ウッ…』とならなかったといえば嘘になる。脱いだあと傍らに置くでもなくスタッフに渡すでもなく、大倉くんの衣装を客席に投げたのには正直引いた。歌の後に言っていた”歌ってると(歌詞が大倉くんを連想させて)笑けてくる”という言葉には笑うどころか真顔になった。
そんなことでいちいち腹なんか立てないし、引き摺ったりもしない。ただ、この場に大倉くんが居たならば彼らもこんなことはしなかったし言わなかったし(ダブルアンコールもあっただろうし)、わたし自身もこんな思いはしなかったのになと思うと、また余計に大倉くんの不在を痛感させられて堪らなくなったのでした。

金輪際あんな寂しくてつらい思いはしたくないし、他の誰にもして欲しくない。エイトのコンサートはやっぱり"楽しい"で飽和されるべきなのだ。


…要するに、やっぱり関ジャニ∞は七人全員いなくちゃだめだよね!というお話でした。
仕事復帰おめでとう。