暇記

カキーン

2016年1月17日の出来事について綴る。の続きを綴る。の続きを綴る。

2016年1月17日の出来事について綴る。の続きを綴る。 - 暇記

↑の続き。
勝手に仕上がれの後、例によってすばるくんが喋り出す。

すばるくんの挨拶の詳細は検索をかければ山ほど出て来ると思うので割愛して、さらに以下はほぼ事実ではなくほぼほぼフィクションであるということを前置いておく。


件の挨拶の中ですばるくんは「六人だろうが七人だろうか八人だろうが関係ない」と言った。
最初に聞いたとき『んなアホな関係あるし六人よりも七人がいいに決まってるじゃないか』とちょっと凹んだ。
さらにその後「今日は六人だけど、そんなことは関係無い」ってまるで追い打ちをかけるように。
『関係あるよ…ただでさえつらいひとたちに向かってなんてことを言うんだろう』と思った刹那、すばるくんの言葉が止まり「今日は悲しい思いをした人はいると思うけど…」と言いながらその大きい目に涙をいっぱい浮かべ出した。

会場内を回るとき(いわゆるファンサタイムってやつですね)、すばるくんはいつも口角をちょこっとあげてどこを見るともなく客席に向けてゆっくり手を振っている。そのやり方が良いとか悪いとかじゃなく、それが彼のポリシーなんだろうし、個性だ。
そんなすばるくんが、明らかに大倉くんのファンだと分かる子に対して笑顔で力強く手(というか団扇)を振っていた。それも何度も。
大倉くんのファンがすばるくんに手を振られて果たして嬉しいものなのか…ってそんなもん嬉しいに決まってる。嬉しくないはずがない。わたしにも振ってほしかった。

大倉くんを好きな人たちが今この会場にどんな気持ちでいるのか、すばるくんはちゃんと、分かり過ぎるくらいに分かっていた。そしてその人たちが…いや、その人たちだけじゃなくて、今日ここに居るすべてのひとに今日のコンサートを悪い思い出にして欲しくないし絶対にそうはさせないという気概をコンサートのあらゆる場面でひしひしと感じた。それはもちろんすばるくんだけじゃなく、六人ともが一様にそうだった。
たとえ六人だろうが七人だろうが八人だろうが、関ジャニ∞としてこの場に立っている以上自分たちは自分たちのコンサートに来ている客を一丸となって全力で楽しませなければならないというアイドルとしてのプライドが、すばるくんにああいう言い方をさせたんだと思う。
でも、やっぱり楽しめなかった人はいる。その人たちを楽しませられなかったことが、本当に悔しかったしつらかったんじゃないかな。

そもそも、人数が関係なくないこと…突然大倉くんが居なくなるということがどれほどのことか、それを会場で一番実感しているのはきっとエイトの六人だったはず。
明らかに気負っていたり、いつになく笑わせようと努めていたり、一切茶化そうとしなかったり、普段間違えないところで間違えたり、徒に浮き足立っていたり…いつもと違うところはこの二時間で山のようにあった。関係ないわけないよね。居なくなって大丈夫なはずがない。それなのに一瞬でも疑ってしまって本当に申し訳なく思ったし、それより何よりわたしにも手を振って欲しかった(2回目)。

挨拶の最後の方で目を真っ赤にしながら「七人でさらに強くなって立ち続けるから、また絶対に来て」とすばるくんが言っていた。
そうだね、さらに強くなったエイトを見にまた絶対に来なくてはいけないだからチケット(以下略)


アンコール。いつも大倉くんと一緒に気球に乗ってる安田章大(31歳)の隣には錦戸亮(31歳)が。これについては無邪気に喜んだ。
だって三馬鹿と山田と同じくらい、みんなヤンマーのことも大好きでしょう?


そして最後の「元気が出るSONG」へ。
この曲はメンバー一人ひとりが作詞作曲をしていて、自分がつくった箇所はその本人がそれぞれ一人で歌うことになっている。大倉くんが作詞作曲をした部分を今日はいったい誰が歌うのだろうかと思っていたところ、メンバーからお客さんみんなで歌うことを提案される。
イントロが流れ、いつも通りヤスくんから歌い始める。その次に歌うのはすばるくん。その手には大倉くんの団扇が。
「7つ根っこで引っ張り合って」「これからだって10年後だって」と、団扇の大倉くんに呼びかけるように力を、気持ちを込めて歌うすばるくんに胸が熱くなった。
すばるくんに続きヒナちゃんが歌い出す。
いつもこの曲ではメインステージを横に広く使い、それぞれが数メートルごと等間隔に並び最初から最後まで同じ場所に立って歌っていたので、モニターに抜かれたところでその横に誰かが映りこむ筈も無かった。それなのに、この日モニターに映ったヒナちゃんのすぐ横にはなぜかヤスくんが。
ふと気づくと、両脇の五人が真ん中に立っているすばるくんのもとに集まってきていた。
広いメインステージの真ん中で小さくギュッと固まったまま、歌い続ける六人。ああこれはわたしが好きなエイトだ。今とてもすてきなものを見させてもらっているなあと思う一方で、この場に大倉くんが居ないことがやはりものすごく寂しかった。
「思い出の欠片を集めて夜を明かそう くだらないことでもいいよ ボクらにだけ解ればいい」という歌詞を、まるちゃんは「今日の日の出来事いつの日か皆で話そう くだらないことじゃないよ ボクらにだけ解ればいい」と替えて歌っていた。今日のことを七人で笑いながら話せる日がきっと来る。
そしてまるちゃんの次には大倉くんのパートが。事前の提案通り会場全員で歌おうとするものの、あまりにも音程が低過ぎて客の声が出ないというおもしろ現象が起きる。それに気づいたすばるくんが途中からオクターブ上で歌って導こうとするものの、皆が皆そんな臨機応変に対応できるわけもなく。…なんでこんな低い音程の曲を作ったんやと病床の大倉くんに文句を言いたくなった。
その大倉くんのパートは「支えるから」という歌詞で終わる。何とか最後まで歌いきったあと、団扇の大倉くんに向かって「支えるよ〜」と声をかけるメンバーたち。「”支えるから”ってお前のことやったんか!」と笑いながら皆で突っ込むこの優しい光景を、大倉くんにも見て欲しいなと思った。

途中、七人が順番に「ずっと一緒」と言い繋ぐ箇所がある。この曲が世に出た当初から、この”ずっと一緒”には度々気を揉んで来た。
この世が諸行無常であることは自明の理である。絶対的なことなんてまるで無く、日々は常に不確かだ。彼等が身を置いている芸能界そしてアイドルの世界も勿論例外ではないどころか、よりそれが顕著であることはその世界と何の関わり合いもない一般人のわたしにだって分かる。
そんな彼等が口にする「ずっと一緒」という言葉。
何と何が如何様にして”ずっと一緒”なのかそしてそれはいったい誰に向けての言葉なのか、漠然としているが故に湧き立つなんとも言えない心許なさ。
経年と共に人の気持ちや状況なんて容易く変わってしまう。同じ曲の中で「この時間が永遠に続けなんて願わない」と歌っている彼等は、端からそんなことは無理だと解っているのかもしれない。それでも、せめてこれだけはそうあって欲しいと祈るような気持ちで自己暗示をかけているかのようにすら思えて、聞くたびに悩ましかった。 
その言葉を、この日彼等は笑顔を浮かべながら大倉くん(の団扇)に向けて歌っていた。
聞く度に憂わしく思えたそのフレーズが、驚くほど力強くそして自然と耳に入って来た。漠然としていたものが瞭然となり、この言葉の、この曲の実質がようやくちゃんと理解出来た気がした。

「いつか永遠と呼べるまで」という歌詞でこの曲は終わる。その最後を「お大事に」と替えて歌う錦戸さん。そんなんされたら笑うしかないやろ。
決して明るくはない曲調と歌詞、タイトルの不相応さを鼻で笑ってすらいたこの曲は、紛れもなく「元気が出るSONG」だった。
でも、これを聞いてこの地球上で一番元気が出るのは間違いなく大倉くんだろうから、どうにかして聞いてはやく元気になってもらいたいなと思った。


大きな拍手を送るくだりでは、子供、親御さん、男、スタッフそして京セラドームに加えて大倉ファンにも拍手を送ってくれていた。そして恒例の手繋ぎでは、大倉くんも団扇で参加させてもらっていた。
最後、普段は七人が横並びになっているその両脇から扉が閉まっていき最終的に真ん中に立っているすばるくんの目の前で扉が閉まり公演が終わるのだけれど、この日は皆が真ん中に集まってドアが閉まるのを待っていた。勿論そこには大倉くんの団扇もあった。…どこにでも現れるこの団扇。この日世界で一番多用された団扇は、間違いなくこの大倉くんの団扇だったであろう。


ダブルアンコールを求めるエイトコールに呼ばれて六人がステージに出てきた。
「どんなん欲しいの?」「大倉が欲しいの?」って、そりゃまあそうだけど。
久々のダブルアンコール、いったい何をするんだろう…と思っていた最中、メンバーからダブルアンコールには応えられないとの報告。ブーイングにも似た声が上がる。
曰く、大倉が居ない状態ではやれない。自分たちも納得出来ない。やらないのが男の美学だ、と。
…この点については賛否両論があったのは何となく把握している。
正解なんてない。それぞれの思うことがそれぞれに正しいんだと思う。
わたしはといえば…確かにもう一曲聞けるのかなという淡い期待もあった。単純に、一曲多く聞けた方が得だしね。
でも、大倉くんが居ないエイトは飽くまでも不完全であって自分たちが納得出来る状態では決してないということを明言してくれたのは正直嬉しかった。”大倉が居ないと俺らはダメなんだ”って言われて、大倉くんのファンとしてガッカリなんてするわけない。だから絶対にダブルアンコールをやらないと決めた彼等の答えをわたしは素直に受け入れた。
そして、六人のコンサートが終わると共に関ジャニ∞の元気が出るLIVEツアー全公演が終了した。


”大倉くんの不在”を物理的にも精神的にも必死に埋めようとしていた六人のコンサートは、良くも悪くもすさまじかった。
キュウソネコヲカムではないけれど、危機に直面してはじめて生じるものは確かにある。わたしが今体感しているこの「すさまじいこと」は大倉くんが居ないからこその産物なのだろうか、大倉くんに何も起こらずいつも通り無事に滞り無く行われていたコンサートとどちらがすごいものになったのだろう…とどうしようもないことを延々考えあぐねている中でヒナちゃんから発せられた”こんなことが無くても僕たちは固い絆で結ばれている”という言葉は、本当に救いでしかなかった。そして、大倉くんがいない六人のコンサートは、すさまじかったけど決して万全でも完璧でもなかった。大倉くんは彼等にとって絶対に必要だった。それを露呈しながらも全力で臨む六人の姿は本当に感動的だった。




とはいえ、今回のコンサートをもう一度見たいか?と聞かれたら答えは全力でNOである。
あんなコンサート、もう二度と見たくない。

今回双眼鏡をほとんど覗かなかった。わたしがあの重い双眼鏡を覗いてまで見たいものは、思いのほか限られているんだなと思った。
自分が見たい人の見たいものを見るつもりで来たのに、それがそこに無いという戸惑いと虚無感。途中「何を見たらいいのだろうか…」となった瞬間が何度かあって、そんな自分に吃驚した。

死人扱いに『ウッ…』とならなかったといえば嘘になる。脱いだあと傍らに置くでもなくスタッフに渡すでもなく、大倉くんの衣装を客席に投げたのには正直引いた。歌の後に言っていた”歌ってると(歌詞が大倉くんを連想させて)笑けてくる”という言葉には笑うどころか真顔になった。
そんなことでいちいち腹なんか立てないし、引き摺ったりもしない。ただ、この場に大倉くんが居たならば彼らもこんなことはしなかったし言わなかったし(ダブルアンコールもあっただろうし)、わたし自身もこんな思いはしなかったのになと思うと、また余計に大倉くんの不在を痛感させられて堪らなくなったのでした。

金輪際あんな寂しくてつらい思いはしたくないし、他の誰にもして欲しくない。エイトのコンサートはやっぱり"楽しい"で飽和されるべきなのだ。


…要するに、やっぱり関ジャニ∞は七人全員いなくちゃだめだよね!というお話でした。
仕事復帰おめでとう。

2016年1月17日の出来事について綴る。の続きを綴る。

2016年1月17日の出来事について綴る。 - 暇記

↑の続き。
「へそ曲がり」の間奏では毎回ヤスくんの挨拶がある。
いつもは全力で逞しく客を煽り、パーフェクトなアイドルっぷりを見せてくれるのだけれど、その日のヤスくんはといえば、客に大倉くんの名前を呼ばせたあと「大倉いますよー」と言いながら自分の衣装の下に忍ばせていた大倉くんの団扇を出してみせて、これまた100点満点のアイドルっぷりだった。突然にヤスくんの腹から出て来た見慣れた団扇。何ならわたしも持っているその団扇に在る大倉くんの笑顔が、ここにきて最高に眩しく見えた。

曲は「モンじゃい・ビート」へ。
この曲ではいつも三馬鹿と年下四人がそれぞれ分かれて花道を進む。いつもそれぞれがもっちゃりくっついたりくっついたりくっついたりするこの場面で、メンバー皆が例の大倉くんの団扇を取り出しそしていつものように歌い出した。歌いながら自分の顔に大倉くんの団扇をかぶせ、まるで大倉くんが歌っているかのように見せる面々。六人それぞれのファンの人、さらに大倉くんのことが別に好きでもなんでもない人にとっては確実に鬱陶しいだろうなこのくだり…と思いながらもわたしは心底嬉しかったし有り難かった。
その途中でまるちゃんが「どや!ドヤ顔で〜」と歌いながら自分の顔と大倉くんの団扇を並べた上で、その団扇の大倉くんの顔マネしていたことも付け加えておく。ま、そんなに似てはいなかった。

バンドのセクションへ。
ドラムに関しては…エイトにはもともと生で演奏するミュージシャンの方がサポートでついているので、おそらくその人が代わりに叩くのだろうなとは思ってはいた。だから一番最初にヨコがドラムセットに座った時は『え、まさか叩けるの…?!』と一瞬息をのんだものの、結局のところ、とてもエアリーなドラム音が数秒間ドーム内にふんわりやさしく響いただけだった。

「ふりむくわけにはいかないぜ」が始まる。
さすがプロだな…とエイトとは少し離れたところにいるそのサポートドラマーの方のスキルに感心しつつも、六人が演奏するメインステージにあるドラムセットに誰も居ないその光景は、なかなか胸に詰まるものがあった。
あと、やっぱり聞こえる音も違っていた。大倉くんのドラムって思ったより力強かったんだな…と普段気づかないことに気づけたりもした。

イヤモニのトラブルなのか、「言ったじゃないか」の途中からまるちゃんがベースを弾けなくなった。
時に”夫婦”と形容されるドラム(の人の腸)とベースが同時にアクシデントってなんかちょっと運命的だな…と不謹慎なことを思ったりもしていたのだけれど、まるちゃんはすぐさまベースから手を離し両手を挙げて、客を煽ることに徹し出した。それを見て笑うメンバー。一歩間違えたらシリアスな状況になってもおかしくないトラブルを瞬時に笑いに転換するこの人たちの強さがここでも垣間見えて感動した。

「言ったじゃないか」では、曲が始まる前に毎回すばるくんが大声で「もっと騒げるって?」と客を煽る。
そしてこの日は「大倉の分まで騒げるって?」と客を煽った。そこで聞いたことがないような大歓声が起こる。わたしも『すばるくんがこう言ってるんだし大倉くんの分まで騒がないといけないな』とこの辺りでようやく少し思い直せた。
間奏にある大倉くんの台詞、それまで比較的大倉くんの穴を埋めてきていた錦戸さんは自分自身のセリフがあるのでどうするんだろう…と思ったら、そこはすばるくんが担ってくれていた。それに続く四人。
四人とも大倉くんを思った台詞を吐いてくれてはいたけれど、中でもヨコが言った「昨日まで元気やったやないか!」という一言にメンバーが抱える如何ともし難さが思いっきり滲み出ていてつい笑ってしまった。

キャンジャニ∞。
ここで流れるVTRでも大倉くんは当然のように出演していた。映像の中で「ちょっと寝るわ〜」と言う大倉くんに『ちょっとじゃなくてちゃんと寝てくれ』と思ったりもした。

VTRが終わり、キャンジャニの面々がメインステージに現れると同時にすば子の股間の何かしらも過去に類を見ないほどにハッキリと表に現れていた。『この凸はもしや凹んだ大倉担に向けてのサービスなのかなサンキューすば子』とその有り難い何かしらを拝礼したい気持ちでいっぱいになった。

曲が終わり、自己紹介の時間へ。
丸子への理不尽な野次と随所にインサートされる鋭利な突っ込み、そして何よりオチを任されていた倉子の不在は、キャンジャニ∞にとって思ったよりも大きいものだった。
上手く立ち回れない丸子に突然二重人格になる安子。山田(の好きな人たち)はこの状況下でそれぞれにクラッシュしていた。
「ブス」「汗かくとブス」「心の中までブス」「本当にブスね!」とほぼ毎回ブスとしか言われていなかったのに、それでもやっぱり自分には倉子が必要だと言う丸子の健気さに涙が出そうになった。

ただでさえ心から笑えないファンが多い中、普段から高打率だった倉子が抜けたことで笑いの量がガクッと減ってしまったのは決して贔屓目ではなかったと思う。そんな中、いつもの何倍も頑張っていたのが村子だった。
別に倉子の不在は関係なかったのかもしれない。村子がやりたいから、やりたいことを素直にやっただけなのかもしれない。でも、村子のどう考えても過剰過ぎる挙動を見てお客さんが皆大爆笑してる光景は、しんみりしているそれよりもはるかにエイトらしかった。

キャンジャニ∞では、一人一人が順番に捌けて終盤に三馬鹿+倉子になる。でも、倉子がいなかった昨日は必然的に三馬鹿だけがステージに残ることとなった。

エイトが好きな人の大半は”三馬鹿”という括りのあの三人が大好きだと思う。同学年で昔から3コイチ、同じ釜の飯を食ったという表現がピッタリの、どう考えても特別な三人。
わたしも例に漏れず好きなので、昨日の「この三人が揃うのは久しぶりにね♡」という村子の言葉には正直なところ色めき立った。でも…何故ここに来てこの三人になったのかそれは今日ここに倉子が居ないからで、この状況を喜んでいいものか否かそしてこの状況は嬉しいことなのかむしろ嬉しくないことなのか…判然としなさすぎて脳内カオス状態だった。

キャンジャニ∞のコーナーが終わり「夏の恋人」へ。
この曲には大倉くんのソロパートに加えてペアダンスがある。よりによってペア。大倉くんの相手はまるちゃん。
正直なところ、このペアで踊るところでは向かって右側の安田錦戸コンビにいつも釘付けなのだけれど、今回はまるちゃんのがんばりを見届けようとまるちゃんだけを見ていた。予想通り一人でペアダンスを踊り出すまるちゃん。『最後の、相手に体重をかけるところはいったいどうするんだろう』と思った次の瞬間、ヨコがスッとまるちゃんの横に来て、ダンスの相手役になっていた。
当初はそのつもりではなかっのたであろう覚束なさ。でも、まるちゃんの嬉しそうな顔を見たら素直に良かったなと思えたし、ぶっちゃけ付き添いで来たギャル達もこれで完全にヨコに落ちたなと思った。

MC。
はじまってすぐに錦戸さんが「やっぱり緊張してたんやろうな…めっちゃフリとか間違えた」と苦笑しながら言っていて、なんか…カケモチしてしんどかったであろう頃もお仕事の部分では決して弱音を吐かず表向きはいつも首尾よくこなしていた印象があったから、冗談半分とはいえそんなことを言うのがちょっと意外で胸が苦しくなった。
”元気が出るLIVE”と銘打っておきながら最終日に病気で休むって言うこの流れがコントだと、今思えば北海道のあの旅からはじまっていた盛大なコントだったんだと六人がこの状況を笑いに昇華してくれていたのがせめてもの救いだった。エイトもそれを見るファンも楽しそうに笑っている、それが彼等のコンサートとして一番健全な姿だと思うから。

ユニットコーナー。
「渇いた花」。二人とも、今までで一番優しい表情だと思った。最後に握手。お互いに一点の曇りもなく心から信頼し合っているその関係が心底羨ましい。
「バナナジュース」。最後の最後まで距離が縮まらないじれったい二人だった。でも、長く見ていたらこんな未来もあるんだってことを体現してくれた二人のこれからが本当に楽しみ。

そして「my store」。
まあ無難に山田が楽しく明るくお届けしてくれるんだろうなって思っていた。途中の組み体操は…肩車でもするんだろうなって。エイトのファンは概ね三馬鹿が好きだけど、山田も好きだから。きっとハッピーな有終の美を飾ってくれるだろうと。そう信じて疑っていなかったのに、オープニングで薄ら見えたシルエットは二つじゃなくて三つだった。
今考えると直前にバナナジュースを歌った二人も直後にKINGとしてのお仕事が控えているヒナちゃんもあのタイミングでの出演は不可能なので消去法でいっても出られるのは一人しかいないんだけど、その瞬間は「誰?」ってものすごく考えてしまった。勿論、その三人目の正体はすばるくんだった。
毎度スパッツ状態だった大倉くんのハーフパンツは、すばるくんが履くと笑えるくらいにブカブカだった。そんなサイズがまるで合っていない衣装に身を包み、歌えそうなところだけチョロっと歌い踊れそうなところだけチョロっと踊ってあとは適当にムビステ上をちょこまかと動き回るすばるくん。そんな彼に時折立ち位置や踊りをガイドする山田の二人。
ツアー最後のmy storeは、そんな感じで幕を下ろした。
なぜすばるくんが一緒に出ることになったのか。上から言われたのか自ら進言したのか、山田から出て欲しいと言われたのかそれともただ何となくそういう流れになったのかは分からない。決して完璧に踊れてはなかったし歌えてもなかった。でも飽くまで”三人組”のユニットの一人になることで大倉くんの穴を少しでも埋めようと、お客さんに虚無を感じさせないようにと全身全霊で頑張るすばるくんを見てわたしは笑い泣きせざるを得なかった。
その後曲が終わってもこの三人が捌けずにステージにそのまま残っていたため、次の曲のKINGが明らかに戸惑って笑っていたのもご愛嬌。ランニングマンとも久々の再会を果たせました。

WASABI」。
わたしはこの曲で踊る大倉くんが大好きだった。連れ去るところも抱きしめるところも、見るたびに毎回ドキドキしていた。
でも、この日の大倉くんが居ない「WASABI」で一番強く思い知らされたのは、大倉くんが歌の面でいかに大事な役割を果たしていたかということだった。
大倉くんの低音のコーラスが無いだけで、歌の厚みが一気に減る。こんなにもかと思うほど。
この曲には、落ちサビでtornがセンターで歌いそれを五人が囲いながらヘッドバンキングするという見せ場がある。大倉くんがいないから必然的にセンターに立つのは錦戸さん一人きりに。その光景はもちろん耳に聞こえてくる歌もやっぱり物足りなくて(下手って意味じゃないよ飽くまで厚みという意味で)、”居ないこと”の大きさを改めて感じた。

「韻踏ィニティ」の大倉くんの台詞も錦戸さんが言ってくれていた。この人がこんなキメ顔で「オレんとここいよ」って言うことなんて滅多に無いな…とガチャで金卵が出た時みたいな心境になった。

High Spirits」からの「勝手に仕上がれ」。
素人耳にも分かるくらいドラムの音がいつもと違う。グルーヴ感も普段より無い。
でも、みんな一生懸命だった。一生懸命で、満身創痍だった。
丸山!って呼ばれた後モニターに映ったまるちゃんが本当に良い顔をしていて、それを見たとき素直に泣けた。




さらに続く

2016年1月17日の出来事について綴る。

既報の通り、昨日わたしにとっていわゆる"担当"にあたる大倉忠義さん(30歳)が、急性的な腸閉塞になりツアーの最終日の公演をお休みするという出来事がありました。

とりあえずこんなことはもう二度とないと思うので、昨日の出来事と自分が感じたことを貴重な体験に基づく備忘録として書き留めておこうと思い久々にログインした次第です。

***********************

コンサート前に用事があったため開演時間の直前、約10分前くらいに会場に着いた。
この日はスタンド下段だったので、まあ10分もあれば十分間に合うかと別段急ぐこともなく座席へ。
隣の席には既に知り合いが座っていたので、世間話をしながら用意(ペンライト出したりタオル出したり)をしていた。
思いのほか話がはずみ、迫っている開演時間のことなどすっかり忘れかけていたころ、いつも開演前に流れるVTRも無いまま突然メインステージに数名の人が現れた。

モニターに映像はなくバックステージ近く=メインステージから相当離れていたこともあり、最初出てきた人たちがエイトなのかどうかなのかすら分からず、オーラスだしもしかして何か特別なことでもあるのかなとその時はむしろ期待感の方が強くもあった。
そして間もなくその中の一人がしゃべりだした。ヒナちゃんだった。
「見て頂いたら分かるように…」という言葉が耳に入ってきた瞬間、一気に嫌な予感が噴出した。『え、見たら分かるレベルの異変が?』と目を凝らして人数を確認すると、確かに一人足りない。『誰?ヒナちゃんは喋ってるからちがうし誰なんだろういやでも昨日ラジオの生放送してたくらいだしまさか大倉くんではないよね…』と動揺のあまり手元にある防振双眼鏡を覗くことすら忘れて居ないのが誰なのか必死に確認しているその間の体感時間の長さたるや。今になって思うと、脳が必死に”大倉くんであること”否定しようとしたのかなとも思うけど、単に視力の問題なような気がしないでもない。

で、わたしが必死にステージ上を精査している途中でこの場にいないのが大倉くんであることがヒナちゃんから告げられた。
客席から上がる悲鳴。近くから聞こえる泣き声やそれを慰める声、コンサート会場とは到底思えない、お葬式のような雰囲気が一気に会場に充満した。
大倉くんが急性の腸閉塞に罹患したこと、ラジオ放送中から少し異変があったこと、直前まで本人は出たがっていたけどドクターストップがかかったこと、気持ちは7人だから今このスタッフパーカーを着て立っていること…をヒナちゃんがいつも通りの口調でお客さんに説明していた。

わたしはといえば、六人が横並びでステージ上に立っているしかもこれは良くないことだ、コンサートに出られないくらい何か深刻なことが起きたのだと勘付いた瞬間から、犯罪とか事故とか大怪我とか、直接的に生死もしくは今後のグループの未来に大きく関わることが起きたに違いないとかなり勝手に身構えてしまっていたので、不在の理由が腸閉塞だと聞いて正直ホッとした。「ああ良かった」とすら思ってしまった。だから涙はまったく出なかったし、理由が分かったことで冷静さも取り戻せた。


その後、六人が今日のコンサートをどうするかという判断を客に委ね、結果的にそれは開催されることになった。
わたし自身大倉担であるとはいいつつそもそも関ジャニ∞というグループ自体が好きなので、大倉くんが居ないのはもちろん寂しいけどまあ楽しめるだろう、だって大倉くんがいなくても大好きなヨコもすばるくんもヒナちゃんもまるちゃんも錦戸さんもヤスくんもいるのだから大丈夫だと気を取り直して時刻を確認するついでに『楽しむし!』とつぶやいたのでした(6人退場後&開演前とはいえ会場で電源を入れてごめんなさいこの点は謝ります。)

そして、いつも通り開演前に流れるVTRが終わって数分後、オープニング映像が流れ出す。
大正駅から京セラドームへの道のりをエイトが実際に歩いていくという映像の中に、もちろん大倉くんもいた。『この人今日京セラドームに来てないのに普通に行く気で喋ってる…シュールやな…』と映像の中の大倉くんをぼんやり眺めていた。

そして映像は切り替わり、モニターはバックステージのメンバーをリアルタイムで映し出す。
一瞬目に入った大倉くんの衣装に『え、やっぱり無理して出るの?』と思ったのも束の間、その衣装を着ているのがヨコだと気付き、一気に堪らなくなった。
そして、まるで見ているこちらもその円陣の中にいるかのような気遣いに胸がぎゅっとして間もなく、六人のコンサートがはじまった。


一曲目のキングオブ男、いつも目をやる場所にもちろん大倉くんはいなかった。
そのことに気づいた時、とてつもなく吃驚した。あまりにもピュアに悲しいと感じた、そんな自分に心底吃驚したのだ。
大倉くんの不在がこんなにも悲しく寂しいだなんて思いもしなかった。ほんの数分前『今日もコンサートを楽しもう』という気しかなかったわたしはもうそこには居なかった。

「どうしよう、これは想像以上にキツいな…」と思いながら歌い踊る六人を見ていた。いつも、大倉くんとヒナちゃんとヤスくんが胸ぐらをつかみ合う場所でも当たり前のように二人だけ。そこでまた増幅する物悲しさ。自分のテンションがどんどん下がっていくのを感じていたそんな中、突如錦戸さんが「愛する女のためだけ」という歌詞を「愛する大倉のためだけ」と替えて歌いだした。それに続くように「愛する大倉の夢」と替えて歌うすばるくん。ふざけることを良しとしないこの曲で何てことをしてくれるんだこの二人はと思いながらも、心が動かないわけはなかった。

二曲目のへそ曲がり、この曲にはAメロのしょっぱなから大倉くんのソロパートがある。さていったいどうなるんだろうかというこちらの心配をよそに、そこは錦戸さんがさらりと歌ってくれていた。
ここに限らず、大倉くんのパートの八割くらいは錦戸さんが対応していた。別に錦戸さん以外の人だってやろうと思えばできたのかもしれない。でも、元来の歌の安定感はもちろん反応の早さや柔軟さはやっぱり貴方だからこそだよ本当にカッコいいゼ前髪は無いけど!なんてことを考えている間にもコンサートは当たり前のように進んでいった。




続く

リサイタルについて綴る。

関ジャニ∞リサイタルに行ってきた。

まず最初に関ジャニ∞リサイタルの開催が新聞等で発表された日の記事を再見してみる。
私は阪神ファンなので、とりあえずデイリーを。
http://www.daily.co.jp/gossip/2015/04/19/0007934568.shtml


この新聞発表があった時、私は「ドームツアーを毎年やっていて昨年はスタジアムまで完売・激戦にさせているこの人たちは、この12年目に入ろうとする年にいったい何がしたいの?!」と思ったことを覚えている。
で、実際にリサイタルを見て、その疑問は解決したどころかさらに深まり迷宮入りになってしまったといっても過言ではない。


先の新聞記事によると、①ご当地企画②ファンとの距離を縮めるというこの2点がリサイタルの趣旨ということが読み取れる。これらの点について、自分なりにリサイタルを振り返りつつ再考してみる。

まずご当地企画。
…そもそもの話なんだけど、(その是非はさておき)私も含めて所謂”遠征”をしてコンサートに来ている人というのは正直なところ少なくない。故に、残念ながら三重所縁のものにまったくもって馴染みがない。でも…仮に親の代から三重育ちだとしても、三重のどこかのダンススクールの生徒やメ〜テレ(=愛知のテレビ局)のアナウンサー、そしてふなっしー程の求心力もないゆるキャラとエイトが絡んだところで、エイトが好きでエイトを見に来た人たちがエイト単体のそれを見るよりもはるかに盛り上がるわけは無いっていう…ことになぜ誰も気づかなかったのだろう……。
いや、盛り上がらなかった・白けていたとは言わない。でも、一番盛り上がった!最高だった!とは、目先の笑いを取るためなら話を盛ることも厭わないでお馴染みの関西人のわたしですら絶対に言えない…。

二つ目の”ファンとの距離を縮める”という点について。これは、公演中「やりたかった」と公言した上でわざわざそれだけのためのメドレーを組んでいるくらいだから、彼ら自身もこの部分にはかなり重点を置いていたのでしょう。
でもさ、ものすごく近距離でファンと対峙したあなた方の約半数は、明らかに困惑の表情だったんですけど…!
「いやいや、こちらが無理矢理首根っこ掴んでやらせたならまだしも君らから近づきたい距離を縮めたいってこういうイベントをやると決めたんでしょうにアリーナ規模の近距離で接触できるイベントをこのタイミングで是が非でもやってくれなんてこちらは一言も頼んでませんしそれをやったらこんな感じになることくらい容易に想像ついたと思うんだけどその”やりたかったこと”をいま念願叶ってやれているんだからもっとこう積年の喜び的なものを爆発させてもいいんじゃないのけ…」と、ものすごい形相でガッついてくるファンを見てあからさまに当惑しているメンバーを目で追いながら能登弁で呟かずにはいられなかった。


加えて新聞記事にもある”10曲前後のライブパフォーマンス”について。

昨年の十祭は実に良いイベントだった。彼らの歴史とドラマと可愛さとカッコよさと、あと若干の切なさがスタジアム内に飽和していて、どの公演も本当に素晴らしかった。「あと10回は見たかった」と、今後4年は言い続けるであろう。
…で、その翌年に十祭で大好評だったジャニーズメドレーの二番煎じどころかそれを水で薄めたようなものを見せるって一体どういう意図?!
前回より下がってどうするんだよ!常に上回っていけよ!!関係ないけどDye D?も年々仕上がりが下がっていってません?!ああでも、君だけにと青いイナズマはとても良かった!!!!あと、山田はその曲じゃなくてもっと踊る曲(雨のメロディとか)が良かったなと個人的には思いました(踊る二人が好きなので)。
中でも、私が一番「…。」となったのは、アンコールの無限大だった。
歌の最中「なぜ私は遠路遥々三重まで来て延々歌を唄わされている&客の歌を聞かせられてるんだろう…」と至極冷静になっている自分が居た。
いや、ひとつのうたの時のように客が歌うこと自体を一つのコーナーに昇華できていたならまだいいんです。単に、適当に、何の計画性も無く歌わせていただけっていう。そしてたまに思い出したかのように歌うメンバー…なんだったんだあれ…狐につままれたような気分だった……。

そんなリサイタルにおいて彼らが一番カッコよくそして活き活きとして見えたのは、本編最後の言ったじゃないかとズッコケ男道の時、つまり客から遠く離れたメインステージでバンド演奏をしている時だった。
リサイタルのどんな時よりも、魅力的にそして彼ら自身が楽しそうに見えた。
どうせチケット取りにくいのは同じなんだから、こんなにカッコよくて活き活きとした顔を見せてくれるなら、いっそのことバンド形態オンリーでツアーでもすればいいのにその方がよっぽどwin-winなのでは…と、三重サンアリーナでなんだかよく分からない心境に陥っている中でふと思ったのでした。


私はエイトに関してハードルが劇的に低い。正直ハードルなんて無いに等しくそれが地中に埋まっているレベルで、低い。
それは諦めとか期待していないからとかそういうネガティブな理由では決してなく、単純に彼らのことが好きすぎるあまり彼らが存在しているというだけである程度の満足を得られる体質に私自身がなってしまっているからだ。
リサイタルも、これだけ悪態をついておきながらやっぱり一番最初に出る感想は「楽しかった」ということに尽きる。
7人が揃って笑っているだけで楽しいし、それだけで私の無いに等しいハードルを軽々と超えていく。やっぱりエイトが好きだなーまたはやく次を見たいなーと素直に思った。
一方で、このご当地企画を携えてあえてチケットがとりにくいアリーナ規模で地方を回る”リサイタル”というものの必要性および必然性が、実際にそれを目にした後でも相変わらず解らなかった。
関ジャニ∞はこの”リサイタル”にいったい何を求めていたのだろう。意義は?目的は?手応えはあります?何よりYOUたちはリサイタル、楽しかったですか?
私は所詮いちファンですから、当然何も解らないわけです。その解らないが故のもやもやが、この鬱陶しい長文を書かせてしまったんだろう。”もやもや”が持っているパワーすごいな。
でも、そういうわけのわからない…蛇足やら理不尽やら不器用さを包含してこその関ジャニ∞なのかなとも思うわけで、彼等がまるっと好きな人間としては、実に如何ともしがたい。
本当、いかんともしがたい男たちである。

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上の文章を綴ったのは三重公演の直後だった。
そのあと福井で行われた2公演に行き、私のリサイタルは終わった。

三重がダメで福井が良かったとかではまったくないし、多分満足度では4公演共にほぼ同じであると断言できる。
でも、福井に行ったことで上記にある三重で生じたもやもやが消化…ってわけでもないけど、ある程度晴れたのは事実である。
具体的にいうと「愛しのナポリタン」の時に、突然ゾンビに成りきった30代の男6人が唯一ゾンビになれなかったヒナちゃんに襲いかかるというそのアホすぎる光景を見て涙を流して笑いながら「この世でこんなにもバカバカしく幸福な景色が他にあるのだろうか…」と思うと同時に、胸の内に渦巻いていたもやもやの存在感が稀薄になっていることに気づいた。
なんかもう、必要性!とか必然性!とか、そんなことを熟慮して解を求めたり、一喜は兎も角一憂すること自体がものすごくナンセンスだなと。目の前のこの刹那的で貴い光景を全力で楽しむ、それで十分じゃないかと。
私を達観させたゾンビたち。まるちゃんが憧れている理由がちょっと分かった気がしないでもないこともない。

要するに、2015年の不可解な夏を経てさらに関ジャニ∞に対する寛容さと情が増したというお話でした。

最初に綴る。

私は2010年頃からTwitterを使っている。

当初はフォローされたらすぐフォローし返すというスタンスをとっていたものの、フォロワー数がある程度増えていくとそうもいかなくなり、今は自身が不快感を覚えないことを前提に好きな方を選ってフォローさせてもらっていて、結果的に日々快適Twitter生活をおくらせて頂いてます。

 

Twitterはとても容易に発信できて、同時にとても容易に伝播する。もちろんそれは個性だし良さでもあると思うけれど、だからこそ留意しなければいけない点でもあって、自分が不用意に発した言葉で喜楽はまだしも怒哀を覚える人もいるのだなあということをこの数年で痛感しているし、また逆もそうで、私自身も他人の言葉にそういった感情を覚えることも無くはないまあ光の速さでブロックさせてもらってはいますが。

 

快適Twitter生活を送りたいのは私だけではないはず。私をフォローしている方々もきっとそうだと思う。だから、私みたいなのが発した言葉で意図せず不快感を覚えたりされないよう、Twitterよりも発信&伝播がしにくいブログを久々に始めようとしているのがまさに今。

というわけで、ここでは普段以上に言葉を選ばず諸々を自重せずに思ったことを書き綴ろうかなと思っている。

 

要するに、此処は王様の耳はロバの耳的洞穴です、というお話でした。